明治維新志士の書
水曜日, 4月 20th, 2016
先日、家内と所用で中央の公官庁に出かけた。
すぐ近くのビルに「書に探る鼓動の幕末維新展」の展示会の掲示があった。
(古典の中に前衛ともいえる創意に溢れる「副島密」の横額)
面白いとばかり、立ち寄ると、あいにく休館日。
横のドアを押すと、中で書道教室と展示室が連なっていた。
「どうぞ、お入りください。今日は休館日なので、お金がとれません。
でも、ご覧ください」と、ご親切に、ご案内戴いた。
その方が、主催者で書家の小原道城氏であった。
あの明治維新に生きた志士たち25名の43点が一堂に並ぶ。
勝海舟、木戸孝允、大久保利通、伊藤博文などなどの名筆が、
この北海道にあるとは、驚きである。
(伊藤博文の信書)
当時の志士というより、一般の若者の教養の高さは、その筆致に伺えるだろう。
ことに、事を成したこの博文は、甲論乙駁、色々言われるが、それ以前に、
人間としての格というか、学識や胆力や体験の深さが並ではない。
この境に至れずして、なかなか物言いはできない気迫を感じた。
惑いのない、迷いのない、筆致の址に、命がけの日常が伺える。
この富岡鉄斎の軸。
万巻の書、万里の旅をせよ、といった鉄斎の内に蔵する学識は半端ではない。
無尽蔵の知恵蔵から溢れ出る、画と文は百年を超えても色あせない。
京都の維新の激動の地にて活躍し、それを実写した鉄斎は、
晩年益々冴えわたった、というから面白い。
それは若年の豊穣なる蓄えがあったからだ。
若きうちに、学びたまえ!と。
贋作が多いとされる西郷隆盛の豪快な書。
山岡鉄舟にも似る筆使い。
豪壮の気風に、惑いのない終始。
当時、漢文の素養をみな一応に身に着けて背骨バックボーンを形成した。
戦後、その教育を失し、海月なす漂える国となってしまった。
今一度、行きて戻らぬ気概を学ぶべきである。
榎本武揚の晩年の書である。
隣に、若書きの書があるが、明らかに目覚ましい境地となっている。
若き日は、月並みの志士のそれであるが、
老齢になって一つ一つ味わい深い文字が互いに呼応している。
若くして、函館五稜郭にて惨敗し、その後救われて明治政府の高官に。
その波乱万丈の人生の裏表が、見事に浮き出ている。
小原館長も激賞している傑作の逸品である。
なかなか味わい深い。
門外漢の家内と談笑する小原館長。
全く筆も持たぬ彼女であるが故に、ズケズケと物言う。
本質をいうので、先生も話に乗り、色々教えてくださった。
学生の頃から、書の博物館設立の夢を以て、
何と個人の所蔵が4000点にまで及ぶという。
これが北海道でなされているというから驚異的な事業である。
独りの志、国を動かす。
まさに、志士に通じる小原先生の大志である。