鳥取慕情Ⅱ
金曜日, 5月 5th, 2017
とある日、鳥取の郷土史研究家の中嶋二三男さんという方から、メールを頂いた。
何でも「北海道開拓に出た旧鳥取藩士の遺した落書き」という遺構を取り上げたもので、
そこに何年か前に書いた祖母の「鳥取慕情」を一部掲載させてほしい、というものだった。
それが鳥取と釧路の友好関係に繋がるよう、と祈りつつ快諾させてもらった。
その定本が先日送られて来たこの「郷土史の資料を読む会」が編集された
野口英世から出雲に関わる七稿に亘る力作であった。
改めて、移住開拓当時の様子を読み直したが、そこには辛苦というには、
凄まじい毎日があったことが想像してもし尽くされないものがあった。
先日、小泉武夫先生の会のあと、釧路の魚谷さんが語っておられたが、
当時の開拓者が、余りの辛さに多くの家族が鳥取に帰る者も多かったと聞く。
そこで、辛抱に辛抱を重ねたものが、今の釧路を作ったと語っておられたが、
北海道の各地各人が、同じような辛い日々を送られたに違いない。
殊に、道北から道東にかけての厳冬と戦った人々には、敬意を表するものだ。
吾がまほろばの大橋店長は士別出身で富山から、
島田編集長は利尻島出身で石川から出向いて来たと言う。
あの厳北や孤島で不自由極まりない土地で、どのような日々を過ごされたか、
皆一言半言では語り尽くせないものがある。
かかるご先祖の労苦あって、今日の我々がある事を忘れてはならない。
http://www.mahoroba-jp.net/blog/2009/03/post_459.html
「新しき扉、古き回廊」
http://www.mahoroba-jp.net/about_mahoroba/tayori/oriorino/oriorino200903tottori.htm
「鳥取慕情」