只今感謝デー開催中!
6月 10th, 2017深海力(あいざめ肝油)のケニングコーポレーションさん
オーガニック&エシカルなグラノーラ、エルアンドエーカンパニーさん
6月の感謝デー、今月は1週遅れで明日まで開催中です!!
深海力(あいざめ肝油)のケニングコーポレーションさん
オーガニック&エシカルなグラノーラ、エルアンドエーカンパニーさん
6月の感謝デー、今月は1週遅れで明日まで開催中です!!
麻墨「玄牝」を作って戴いた奈良の古梅園さんの墨をはじめとした
書道関係の品々が、札幌円山の「愛海詩/えみし」さんで、
展示即売会を開いております。
どうぞ、古雅の香りを、ご堪能下さいませ。
今月11日までです。
先日、「林謙三『隋唐燕楽調研究』とその周辺」
と題された共編訳本が、著者の山寺三知さんから贈られて来た。
共に古琴研究家である奥様の美紀子さんとは夫唱婦随、
公私共に同じ道を歩まれる。
彫刻家であり、東洋古楽研究家でもある故林謙三先生。
私は、若き日に奈良のご自宅を訪問したのだった。
当時、正倉院の古楽器と楽譜を復元され、
「天平の音楽」を音盤にも刻まれた。
そのオリエンタルで古雅な調べに、胸がときめいたものだった。
あれから50年もの歳月が過ぎ去ってしまった。
その忘れかけていた記憶を、
山寺さんが掘り起こしてくださったのだ。
戦後、大陸に生きる最後の文人としての郭沫若の名は、
私の耳にも入っていた。
何と、この林先生が書かれた論文を、朋友
郭沫若が翻訳して大陸で上梓したのだった。
だが、あいにく戦争で原本が失われてしまっていたのだ。
それを山寺さんが、半世紀以上埋もれた名本を蘇らせたのだった。
林先生の多才多識に舌を巻き、
郭大人にはその造詣の深さに驚愕し、
そして、山寺さんの学識の豊かさと旺盛な探求心に感動するものです。
この専門書、なかなか我々が読みこなす事は難しいが。
しかし、名も知れぬところに、歴史上、
着実に学術の道が継承されていることを讃嘆したい。
おめでとうございます。
お疲れさまでした。
昨日から始まった5月感謝デー「五月市」。
長い冬日から解放された、五月の晴れた日。
お客様で、ごった返す店内。
今日・明日の二日間、どうぞご来店のほどを。
大阪より、青パパイア「美腸酵素」の嘉納さま、
北九州より、「シャボン玉石鹸」の加藤さまが、
来道されて講話即売会を行っております。
是非とも、皆さまのご来店を、お待ち申し上げております。
先月、横浜戸塚の「善了寺」で行われた
「スロービジネス」のフリートークで集まった多くの方々。
そのお寺が「ストローベール」藁と自然素材で建てられた
辻信一さんの実兄・大岩剛一さんが設計施工したもの。
その見事な出来栄えは息を呑み、中に入った佇まいと居心地の良さは格別であった。
また住職・成田智信師は浄土真宗に属するに関わらず、広く門戸を開け、
あらゆる宗旨宗派も拒まず、互いに手を取り合ってゆこうという大乗大和の精神。
辻さんたちとのスローライフの生き方に大いに共鳴して、スロービジネスも含め、
今後のお寺のあり方が全国的に注目されて、とても楽しみである。
まほろばのエリクサー一群の製品が、ご協力できれば、幸いこの上ない事です。
左から、辻信一、中村隆市、末吉里花、私、上野宗則各氏
今冬2月、店で急遽行われた『「スローライフ」から「小国寡民」へ』で
お話しくださった辻信一さんは、評論家、文化人類学者、環境運動家。
77年に北米に渡り、さまざまな職業に従事しながらカナダ、アメリカの諸大学で哲学、文化人類学を学ぶ。
87年に米・コーネル大学で人類学の博士号を取得。91年に帰国し、明治学院大学国際学部教授。
「スローライフ」を提唱し、「100万人のキャンドルナイト」呼びかけ人、
NGO「ナマケモノ倶楽部」世話人などを務める。
戸塚にある善了寺を拠点にcafe de la teraなどの啓蒙イベントを定期的に行っている。
デヴィット・スズキやサテッシュ・クマール、ヘレナ・ノーバーグ=ホッジなど
様々な環境活動家との交友関係があり、
アースデイなど各地の環境保護イベントに呼ばれて講演をしている。
著書・DVD多数。
■ 豊かさの撲滅に割り算を(『地球村通信』≪スペシャル対談≫2009年6月号から)
辻:僕は1952年生まれで、経済成長は当たり前の時代に育ちました。でも大人たちを見ていても、ああなりたいとか、あんなふうに生きたいとは思えなかったんです。24、5歳のときに日本を飛び出して海外を回りました。そこで僕が魅力を感じたのは先住民族や少数民族の人たち。文化的な根っこを持っていて幸せそうなんですよ。先進国では、そういった大事なものを手放して、マネーという価値観で、世界中を覆い尽くそうとしているのに。
高木:同感です。私はそれを、マトリックス社会と呼んでいます。全く価値のないマネーゲーム。私たちは様々な活動を通じて、経済成長の果てには幸せがないことを伝えていかなくてはと思います。
辻:僕は、アインシュタインの言葉を講演でよく使うんですが、「ある問題を引き起こしたのと同じマインドセット(意識や価値観)のままでは、その問題を解決することはできない」というんです。
高木:その通りです。同じマインドでは問題を解決できません。エコ商品に助成金をつけて売ろうとするのも違うし、便利快適を維持しながら、経済も上げながら、問題を解決しようなんて、全く違うんです。
辻:僕は「反貧困」という言葉にも違和感を感じます。問題なのは貧しさではなく、豊かさの方だと思うから。豊かさの幻想から脱することこそが大事だと。
高木:同感です!私がしたいのは、貧困の撲滅ではなく、豊かさの撲滅なんです。
辻:今までの社会は足し算ばかりやってきました。でも今、ぼくたちに必要なのは引き算です。引いてみるときに現れる楽しさや安らぎ、つまり本物の豊かさが、これから始まるんだと楽しみにしています。
高木:現状は、足し算というより掛け算です。だからこれからは、割り算が必要なんじゃないかなあ。
辻:なるほど。分かち合いも割り算ですしね。
高木:そう、それを一緒に伝えていきましょう。これからもよろしくお願いします。
あの有名な「カルロスさんのコーヒー」は、
初めて中村隆市さんが掘り起こした逸品で、日本のフェアトレードの草分け的存在。
55年福岡生まれ。㈱ウインドファーム代表。
20代から有機農業、環境運動に取り組み、87年フェアトレード事業を開始。
有機農業とフェアトレードの普及でブラジル・マッシャード市から名誉市民章受章
。90年からチェルノブイリ医療支援に関わり、原発問題に詳しく「東北あしたの森」代表。
ゆっくり堂 代表。中村さんのコメントを掲載します。
「有機コーヒーや紅茶をご愛飲いただいている皆様、
そして、有機農業やフェアトレード事業の重要性を理解し、
広めていただいている皆様に、心からのお礼を申し上げます。
皆様のおかげで、エクアドル、ブラジル、メキシコ、インドなどの有機農業者を支えるだけでなく、
農薬汚染や鉱山開発などによる環境破壊から生態系を守ることができています。
また、森林農法が広がることで、生物多様性の豊かな森が広がり、
生物種の絶滅や気候変動の防止につながっています。
弊社と提携しているコーヒー生産者には、
30年以上も前から有機栽培や森林農法の普及に取り組んできた方が多数おられます。
しかし、そうした努力にもかかわらず、地球全体の森林伐採とCO2排出量の削減は進まず、
気候変動による天候不順などで農作物に大きな被害を受けることが増える傾向にあります。
そうした天候不順は、コーヒーの生産量だけでなく品質にも影響を及ぼすことがありますが、
そのような生産者にとって辛く厳しいときこそ、
彼らのコーヒーをフェアトレード価格でしっかりと買い支えることが重要だと弊社では考えています。
生産者の皆さんは、そうした姿勢を持つウィンドファームに厚い信頼を寄せてくださっています。
丹精込めて栽培された有機コーヒーや紅茶のフェアトレードを通して、
「助け合いや分かち合いが幸せを広げていく」
というメッセージが多くの人に伝わることを願っています」
七か所の有機・森林農法の豆をブレンドした「レインボーコーヒー」が、
まほろばで、後々販売されます。お楽しみに。
世界・ふしぎ発見のミステリーハンターでお馴染みの末吉里花さんは、
米国生まれ。父親の金融アナリスト竹二郎とともに環境問題に取り組むなどして、
一般社団法人エシカルを立ち上げ、代表理事。
彼女のあいさつから。
「エシカルには「倫理的」という意味があり、人種や民族を問わず、
多くの人たちが「正しい」と認識している社会的な規範のことを指します。
人や社会、地球環境への配慮という観点からの「倫理的」という意味で、
一般社団法人エシカル協会は、モノを作る人、売る人、買う人
それぞれがエシカルな考え方に基づいて行動できるシステムづくりを構築して、
エシカルな考え方を世に広め、それを実践することが世の中にとって
素晴らしい結果を産みだすことを信じています。……」
農産物や商品の製造過程を追って、安全安心を確かめるまほろばの実践していることは、
エシカル運動の一環だと思います。
スローライフがあれば、スローデスもあるはずです。
父君の死によって、あの「おくりびと」として、
98年から死化粧用品等ご遺体ケアのための商品づくりを始められた上野宗則さん。
「人の死に立ち会うときなにができるか」をテーマに、医療従事者や葬祭事業者向けの講習会、
看取りに携わる「ナースのためのエンゼルメイク・アカデミア」をスタート。
「死を想うきっかけづくり」をモットーに、全国各地で講演活動を行う。
人の死を看取り、自分の死を見詰める。
よく死するものは、よく生きると、あり。
先月24日に、佐藤水産で小泉武夫文化塾、「第一回 鮓(すし)と鮨(すし)」の講演会が行われた。
鮓は、乳酸菌で発酵させた魚。1200年前から発達した伝統的本熟(なれ)鮓。酢で〆る飯寿司、桝寿司、箱寿司、棒寿司など、全国的に分布。
鮨は、握り寿司の早寿司で、江戸末期から始まった。
東京湾には、江戸川、多摩川、荒川など大小さまざまな川が流れ注ぎ、稀に見る魚の宝庫で、鱸、鱚、鯛、細魚、平目、鰈、芝海老などの白身が多い。そこに黒い醤油を垂らすと汚くなる。それで「煎酒(いりざけ)」なるものが発明された。日本酒と鰹節、梅干で煮た上に焼塩を加えた煎り酒を白身に垂らすと、色を濁さず得も言われぬ味を引き出す。
先生の著書『百川』にある新鮮魚介が何故確保できたかは、生簀(いけす)に在った。八百八町の至る所にこの生簀があって、直ぐに新鮮な魚の下ろしが出来たのだ。なるほど!今のデリバリーでも叶いっこない、とは驚きである。
「熟度と鮮度」。自然と社会は、この拮抗した概念と実際がうまく溶け込んで、時間が流れる。活きの良さ、煉れ具合、世の中よくしたものである。
何事も、老いも若きも要し、伝統も前衛の両車輪が、人を生き生きさせる。
講演後、有志による談話で、漁獲高の激減による海の危機が叫ばれていることに至った。中国、韓国、台湾などによる近海先回りの包囲網により、日本沿岸の鯖、鰹、イカ、秋刀魚、鰯などの大衆魚が軒並み居なくなった。そして、加工業の第二次産業が瀕死の状態なのだ。これは、お上の水産農産省が、その対策を講じなかった構造的問題であり、そのツケが今回っている。
同じ北国のフィンランドは、430万人で4兆円の黒字を出し、北海道は560万人居るも、赤字財政である。これは、行政がおかしいと、小泉先生は語る。そこで、熊本県を例にとる。熊本県の蒲島知事とは、農政審議会で席を同じくする仲である。熊本県では、予算の57%を農林水産が占めるという。何と新規就業が3万8千人の内、6千人に上る農業大国である。リーダーが、如何に第一次産業に目を向けるかに、日本の浮沈がかかっている。北海道は土木の公共事業が多すぎるため、根幹で足元をすくわれていると。
この蒲島郁夫知事は、高校から農協職員に、農奴から渡米してネブラスカ大学へ、次いでハーバード大学博士、そして東大教授に昇り詰めた日米ドリームを実現した丈夫であった。
「逆境の中にこそ夢がある」「どんな人生にも必ず5度のビッグチャンスが訪れる!」と公言して憚らない。先生は、まず、リーダー不在!リーダーが農水に力を入れるべき!と力説される。
「くまもん、よかもん、うまかもん」は、伊逹になったのではない。このリーダーのもとであってこそ、全国にブレークしたのだ。
農水産業を、頭に据えない行政は、必ず破綻を来す、と。
我々、日本国民みな、肝に銘じたい訓話であった。
とある日、鳥取の郷土史研究家の中嶋二三男さんという方から、メールを頂いた。
何でも「北海道開拓に出た旧鳥取藩士の遺した落書き」という遺構を取り上げたもので、
そこに何年か前に書いた祖母の「鳥取慕情」を一部掲載させてほしい、というものだった。
それが鳥取と釧路の友好関係に繋がるよう、と祈りつつ快諾させてもらった。
その定本が先日送られて来たこの「郷土史の資料を読む会」が編集された
野口英世から出雲に関わる七稿に亘る力作であった。
改めて、移住開拓当時の様子を読み直したが、そこには辛苦というには、
凄まじい毎日があったことが想像してもし尽くされないものがあった。
先日、小泉武夫先生の会のあと、釧路の魚谷さんが語っておられたが、
当時の開拓者が、余りの辛さに多くの家族が鳥取に帰る者も多かったと聞く。
そこで、辛抱に辛抱を重ねたものが、今の釧路を作ったと語っておられたが、
北海道の各地各人が、同じような辛い日々を送られたに違いない。
殊に、道北から道東にかけての厳冬と戦った人々には、敬意を表するものだ。
吾がまほろばの大橋店長は士別出身で富山から、
島田編集長は利尻島出身で石川から出向いて来たと言う。
あの厳北や孤島で不自由極まりない土地で、どのような日々を過ごされたか、
皆一言半言では語り尽くせないものがある。
かかるご先祖の労苦あって、今日の我々がある事を忘れてはならない。
http://www.mahoroba-jp.net/blog/2009/03/post_459.html
「新しき扉、古き回廊」
http://www.mahoroba-jp.net/about_mahoroba/tayori/oriorino/oriorino200903tottori.htm
「鳥取慕情」
私の幼馴染のお寺の大古木が、ある人を介して見事再生されたとのことで、
東京白金台、大久保彦左衛門屋敷跡の八芳園に案内された。
そこの生き生きと蘇った庭園は目にまばゆく、鯉は悠々と泳いでいる。
「現代の花咲か爺さん」と呼ばれた福楽(ふくら)善康氏。
名からしてめでたし、めでたし。
何と、今日まで6000本の枯木を蘇らせたというから尋常ではない。
全国の名立たる大庭園、古城から神社仏閣に至るまで、その神技は並大抵ではない。
800年もの国指定の天然記念物の石戸の蒲櫻や世界遺産の天竜寺の櫻、仁和寺の松、
金閣・銀閣、平等院、大徳寺の木々、兼六園のケヤキ、
もう枚挙に暇のないほど銘木・古木を再生して来られた。
そして、あの小説家佐藤愛子さんの櫻も、ヒコバエから見事に再生。
いつか彼女もこの奇跡を、『九十歳。何がめでたい』に続いて筆を起こすかもしれない。
世界盆栽オリンピック大会とも関わりの深い樹医の中の樹医である。
元より、生家は味噌・醤油・麹屋さんの老舗。
その神秘の一端をお聞きして、何かに繋がる思いでいる今である。
この春5月に、札幌山の手の「斎藤リンゴ園」の『マッカム』のリンゴ苗を
仁木の農園に植える予定でした。
昨年から、斎藤さんが接ぎ木して下さっておりました。
しかし、状態を見て、秋に植え替えをすることになりました。
全国にないマッカムは、昨年一個も入荷がありませんでした。
継承者のいらっしゃらない斎藤果樹園を、
近所の授産施設が少しずつ引き受けて今日まで来ました。
しかし、80年猶予も経つリンゴの巨木を育てて来られた斎藤さんの
熟練の技、観察眼、昼夜を分かたない愛情と手間暇は、
一朝にして育つものではありません。
多くの木が腐乱病に傷付いているのは、忍びないものがあります。
何本かは、切り倒しておりました。
新芽が、仁木の地で育つことを、夢見て。
以下、リンゴと斎藤さんの悲しみを知って・・・・。
http://www.mahoroba-jp.net/about_mahoroba/tayori/oriorino/oriorino2.htm
「精の宿り木」
http://www.mahoroba-jp.net/blog/2007/03/post_13.html
「リンゴ園の跡継ぎ募集」
http://www.mahoroba-jp.net/blog/2008/10/post_367.html
「旨し珍し味道中6、マッカムリンゴ」
(口にマッカムを頬張る小泉先生)
愛知県豊橋市の㈱サンヨネさんの三浦社長が、仁木の農園にわざわざ視察にお越し頂きました。創業が明治25年、何と125年も続く老舗スーパーです。
社是が、「ステキな会社をつくりましょう」。長い歴史の中で、遺った何気ないこの言葉に、重みと深い意味合いを感じます。
日々、全国各地を視察に回り、直接生産者を訪ね、仕入れをされて、安全安心なより確かな物を、より安く買い易いお手頃価格で提供されて、努力を惜しまない独自路線を歩まれる三浦社長率いるサンヨネさんは、我々の理想の姿、夢の会社だと思います。
昨朝も、早々から仕入れ先の寿都・かねき難波商店さんの小女子の加工現場を視察されてすぐ、農園にお越しになられました。まだ何もない農園ですが、丁度野生の浅葱の収穫を見て行かれました。全国各地で行われている各農法と、その情報を懇切に紹介してくださいます。大変勉強になりました。今後とも、ご指導を仰ぎたいと思います。
その後、農園の近所、私も初めての蕎麦処「こぶし」さんを訪ねました。砥の川の奥、踏み分けて入った山の中にあったのには、正直驚きました。周りの鬱蒼とした木々と山菜の宝庫、元はまほろばの西野で店をやられていたというから、この奇縁にも驚きました。