まほろばblog

美松の田村さんが

9月 5th, 2015

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http://www.ikebukuro.ne.jp/mimatsu/

東京池袋で、食べもの処「美松」さんのご主人が来訪されました。

初対面です。

和光市の海藤さんのご紹介で、エリクサーを設置されました。

料理一切を、エリクサー水で賄うとのこと。

味処として、知る人ぞ知る、名店です。

書道を一番にたしなまれ、この「ごはん」の字が実にいいですね。

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そして、有名な目白の古道具やの坂田和實さんとは、近所で大の仲良しだそうです。

http://sakatakazumi.com/

びっくりです。

ある人を介した、坂田さんの石皿が、今私の所に来ています。

これも、ご縁ですね。

これから、盛岡で開かれる坂田さんコレクションの展覧会に行かれるそうです。

美松さん 1

 

お土産に、新宿揚場町「萬年堂」の「御目出糖」と「ありが糖う」の銘菓を頂きました。

400年もの伝統菓子の何とも典雅で由緒ある品をみんなで賞味いたしました。

これも趣味の佳い、深い志のある田村さんならではの心尽くし。

今後とも幾久しいお付き合いが続くことでしょう。

 

美松さん 2

 

ムソー小林さん、お疲れさま!ありがとう!!

9月 5th, 2015

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㈱ムソーさんの小林さん、今日が最後のお手伝い。

そして、次の村上さんへバトンタッチ。

7年もの長きにわたり、毎月まほろばの感謝デーのために、

割り引きサービス品の手配や、実際の品出しのお手伝い、

説明即売会の立ち役等々、八面六臂の活躍で、

誠心誠意の貢献を戴き、一同心から感謝申し上げます。

有難うございました。

今後、商品部に移られるも、変わらずご助力ご助言のほど、

よろしくお願い申し上げます。

ありがとうございました。

向こうにおられても、お体を大切に、ご活躍くださいませ。

 

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9月の感謝デー

9月 5th, 2015

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「天高市」「風盆市」「観月市」と名付けた9月の感謝デーも後一日。

盛り沢山の内容と人出の賑わいに、お知らせ遅れました。

多くのご来客が、昨日今日と、、、、ありがたいことです。

残す所、今年もあと1/3を駆け抜けるだけです。

クリシュナムルティの生涯 -「変化への挑戦」

9月 2nd, 2015
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これまで、クリシュナムルティの生涯を記す文章を読んだことがあるが、

映像をもって、これほど詳細に解説されたものを他に知らない。

彼の思想哲学の発祥の原点になったものが、観念や修行といったものではなく、

青年期に置かれた特殊な環境の束縛から解放された気付きから

来ていることを知り、実に腑に落ちたことだった。

凄まじい外因による圧迫が、ついに彼をして内因のエネルギーを爆発させて、

真の「自由」を獲得するくだりは、必然であり、劇的である。

その後、彼が集団を離脱して、生涯をかけて世界に説いて回った。

その夥しい語りは、心ある人たちの福音になった。

何ものにも属せず、何もの物も持たず。

だが、彼は教師としてではなく、同じ人類の一人として同じ座にすわりながら・・・・・・。

 

緒方紀子さん、奇跡の生還!!!

9月 1st, 2015

緒方紀子さん 3

 

紀子さん、帰って来ました。

スゴイ!感激!!

 

みんな心で泣いて、顔は日本晴れのつき抜ける明るさ。

… 本当に、ごくろうさまでした。

 

私たちは、この事故と闘病を「マリアの修行」と呼んでいました。

「現代のマリア」を出現させるために、 あえて天はこの試練を与えたもうたのだ、と。

 

何と、あの3月からの160日間、1日とて絶望はせず、前向きに希望に輝いていらした。

その間の激痛、悲鳴、絶叫、それは眠るに眠られず、

泣くに泣けない辛くして辛い日々でした。

だが、決して弱音を吐かず、必ず治るんだ、必ずテニスが出来るんだ、

との希望で、生き切ったのでした。

 

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そして、医者も唖然としたという、驚くべき脅威の蘇生力、回復力。

ハードなリハビリを克服してのこの半年。

筆舌に尽くしがたい苦悩を超えて戻って来られました。

 

おつかれさま!紀子さん!!

おめでとう!紀子さん!!!

 

これから、全放射の愛の光をくまなく照らされることでしょう。

まさに、彼女とともに私達が活動できる歓びを、かみ締めて行きたいと思います。

 

皆さま、本当にありがとうございました!!!

緒方紀子さん 1

 

クリシュナムルティの実像

9月 1st, 2015

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私が、まほろばを創業したきっかけは、色々ありましたが、

その中でも大きな影響と決意を与えてくれた人が、

このクリシュナムルティでした。

「自我の終焉絶対自由への道」

この一冊によって、私は過去と訣別することができました。

現在、この混沌とした世界で、ことに日本の行く末が危うい今こそ、

彼の声を聴くべきときかもしれません。

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平和のいのち

8月 31st, 2015

平和のいのち

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111歳、106歳画家、大活躍!!!

8月 31st, 2015

ビックリ!

何と111歳の後藤はつのさん、106歳の豊田三郎さん、

今なお、意気軒昂に「わが道を行く」!!!!!

その画業が、すばらしい!!!

私たちも、負けられません。

60歳還暦、折り返し地点に過ぎない。

 

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明治5年生まれ、昭和54年に没して107歳まで健在だった、

あの彫刻家、平櫛田中(ひらくしでんちゅう)翁、曰く

 

 

六十、七十、洟垂(はなた)れ小僧、

男盛りは百から百から、

わしもこれからこれから。

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いいぞ!

みんな、老けていられないヨ!!!

 

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http://www.akakura.gr.jp/wakui/mama/

後藤はつのさん(111歳)

73歳の手習いで始めた絵に夢中、

80歳代から99歳まで、100号の油絵を描き続ける。

100歳を超えてからは、アメリカ旅行、個展、新たに始めた百人一首…。

いつも笑顔の111歳! その素晴らしい絵と生き方エピソードを紹介。

 

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http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/pickup_photo/70651.html

豊田 三郎さん(106歳)

ふるさとの杉や足羽川などを描いた風景画が世界的に評価されている豊田三郎画伯は、

1908年(明治41年)美山町に生まれ、

5歳のときに見た古い墨絵に影響され画家を志すようになったといいます。

帝国美術学校(現 武蔵野美術大学)卒業後、中学校美術教員になり、

70歳を過ぎて画業に専念し、1989年(平成元年)「ふるさとの山河」が

サロン・ド・パリ展大賞を受賞。

以後、数々の世界的な賞を受賞しています。

 

 

 

今野華都子のラジオ『今日もくもりのち晴れ』から

8月 29th, 2015

 


岐阜県飛騨高山地方 HitsFMにて毎週水曜日12:12~12:27放送中

翌木曜日にはインターネットにて全国からお聴きいただけます。

 

<放送予定一覧>

8月 5日 脳科学研究者 柳本広二様

8月12日 ゆとりの空間 HugRuu様

8月19日 伊達市議会議員 こくぼ重孝様

8月26日 株式会社まほろば 代表取締役社長 宮下周平様1

9月 2日 株式会社まほろば 代表取締役社長 宮下周平様2

9月 9日 株式会社まほろば 代表取締役社長 宮下周平様3

9月16日 東京元気アップショップ 所長 後藤吉弘様

※スケジュールは変更になることもございます。

 

放送は下記リンクよりお聴きくださいませ

 

飛騨高山HitsFM

HitsFM76.5MHz

 


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余情残心・・・・・

8月 29th, 2015

パラペット2013秋 A4

今季の紅葉の写真に「余情残心」と書き添えた。

本来、余は「餘」と書くべきも、四字混み合って抜きがない故に、簡略とした。

この余情残心、ことに残心は、日本精神の美学を指すように思う。

さらに、茶道において、ことづけが際立つ。

 何にても 置き付けかへる 手離れは

            恋しき人に わかるると知れ

(茶道具から手を離す時は、恋しい人と別れる時のような余韻を持たせよ)

 

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この千利休の道歌にあるように、所作の後にも連続しているかの如く心を遺せよ、と。

見える動きのみが所作ではなく、見えざる静の時間も含めて、所作とする。

いわば、静動一如の思想実践体系が躍如として言い尽くされている。

それを、裏打ちするように、かの井伊直弼が「茶湯一会集」において、その消息を伝えている。

「客が退出した途端に大声で話し始めたり、扉をばたばたと閉めたり、

急いで中に戻ってさっさと片付け始めたりすべきではない。

主客は帰っていく客が見えなくなるまで、

その客が見えない場合でも、ずっと見送る。

その後、主客は一人静かに茶室に戻って茶をたて、

今日と同じ出会いは二度と起こらない(一期一会)ことを噛みしめる。

この作法が主客の名残惜しさの表現、余情残心である」と述べている。

 

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日本舞踊における残心は、何と言ってもあの地唄舞・武原はんさんの「ゆき」を見れば了解される。

残心は、主に踊りの終わりに用いられ、それが欠けると「仕舞いが出来ていない」ともいわれる。

最後まで気を抜かず、手先足先まで神経を行渡らせ区切りの「お仕舞い」まで踊る事を指す。

だが、それは単に、終りのみならず、終始、心を遺す余香が漂うように、踊ることであろう。

 

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  折りえても 心ゆるすな 山桜

           さそう嵐の 吹きもこそすれ

(桜を手に入れたと油断するな。嵐が吹いてしまったらどうするのだ)

 

武道において、技を決めた後も心身ともに油断をしないことをいう。

たとえ相手が戦闘力を失ったかのように見えてもそれは擬態かもしれず、

隙を突いて反撃が来ることが有り得るからだ。

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空手・弓道・居合道などは、「かた」で身構えて、相手との間合い、反撃を考慮する。

技の前、行う最中、終えた後、一貫して持続される精神状態を、残心と呼ぶ。

 

弓道では、矢を射った後も心身ともに姿勢を保ち、目は矢が当たった場所を見据えること。

剣道では、相手の攻撃や反撃を瞬時に返すことができるよう身構えていること。

残心がなければ技が正確に決まっても有効打突にならず、無効とされる。

流派によっては、前心通心残心を説いている

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要諦は、一貫して精神をゆるがせにせず、時空に満ちさせるをいうのであろう。

天地一杯の我をもって、ことに当たる。

そこに、少しでも自我の念が入ると、一切のことごとが崩れてしまう。

これは、何も武芸に限ったことではなく、日常茶飯事にもある。

「余情残心」、なかなか手ごわい言葉である。