心の菩薩像
1月 10th, 2015
平安朝、木彫菩薩像 ご開帳です。
心に染みます。
1200年の時を経て。
今、ここに在ることの奇跡を
ご覧下さい。
平安朝、木彫菩薩像 ご開帳です。
心に染みます。
1200年の時を経て。
今、ここに在ることの奇跡を
ご覧下さい。
改めて、新年明けましておめでとうございます。
昨日から始まった最初の「感謝市」も、大盛況。
今年も、重ね重ねよろしくお願い申し上げます。
明日は最終日、本店2階の「千家骨董市」は13日までです。
素晴らしい逸品は、驚くばかりの内容ですよ。
明日から、年頭の感謝祭です。
とんでもなく安い商品を、てんこ盛りでご用意しております。
今年は、初めから景気がいいですよ!!!
二階では「千家骨董市」が開かれます。
目の保養に、お腹の保養に、どうぞお越しくださいませ。
2015年の年明け、
新春を寿ぎてお祝いを申し上げます。
旧年中は、厚きご愛顧を賜りましてありがとうございました。
今年は、まほろばにとりまして、変革の年です。
旧態を脱皮して、新生まほろばとなりますよう努力いたします。
相変わりませず、ご贔屓のほどよろしくお願い申し上げます。
みなさまのご多幸と健康久しからんことをお祈り申し上げます。
2015.1.1. まほろば一同
あと今年も残すところ、8時間。
最近は、時の経つのも早いが、仕事も速い。
何かに、追われるように、追うように、
次々と仕事が、片付いてゆく。
そのテンポが、周囲も自分も、早くなって来ている事に気付く。
今日大晦日の段取りも、朝からみんなで一致協力していって、
全体で4,5時間前倒しで、過ぎてゆく。
みんな家族も大事で、なるべく早く家に帰したい。
普段、働きづめで働いているから・・・・・。
ささやかだけど、今日は6時に帰れるといいな!と思っている。
おかげさまで、お節関係の商品は、ほぼ売れ尽くした感じ。
全体に過不足なくいけたかな・・・・。
みんな、本当に良くやってくれて体の限り働き尽くした。
兎に角、30周年の2014年は終わろうとしている。
これも、多くのお客さまにお越し戴ければこそで、
感謝極まりない・・・・・です。
来年も、もっともっと喜んで頂けますよう、
店作りに励んで参りたいと思います。
ありがとうございました。
皆様にとりまして、来年もまた良い年でありますように。
(福田農場長の迫力満点の正月飾りが本店前に出現しました。
これも、例年なら正月休みに彼が出勤して山に樹を伐りに、
一人で黙々と造形に励むところ、年内の昨日今日で完成しました。
時間と意識が、早く回っている証拠ですね。)
http://pinpoint.ne.jp/manpokei/
11月16日(日)に、東京本郷の求道会館にて「衣食革命」のイベントが行われました。
あいにく、ウーさんが都合でタイから帰国出来ず、滝沢泰平さんも参加が叶わず、
その時間分、私が急遽延長して講演することになった予想外の展開でした。
会場は東大赤門近く、浄土真宗の教会風の明治期建造物で、
都の保存建築物に指定されており、風格と音響の良さに魅入りました。
その日の話が、浄土的な内容や音楽史に相応しく、
これも天のお計らいかと感謝しました。
私の講演「衣食革命」と「ホツマツタエ」のユニット、
踊りの花柳鶴寿賀さん、琵琶の黒田月水さん、笛の雲龍さん、
デジュリドウのKNOBノブさんで、皆さんとは初対面。
皆さん、うさとと着ていらっしゃいました。
これで、4回目のコラボということで、気が充実していて素晴らしいコンサートと舞でした。
ことに、楽屋で見せて頂いたウーさんの製作した舞台衣装の
凝り様は尋常でなく、5,6枚もの重ね着で、それぞれに麻や綿の素地が使われ、
その截ちや縫いの見事さに、ウーさんの天才振りが発揮されていました。
神道を初めとする世界各地の儀式の礼服を研究されていたものと思われます。
これから、何事かに、回を重ねて、この演目が公開されることでしょう。
私の講演で、即興で月水さんが伴奏をして下さいました。
プロの方にやって頂き光栄ですが、
彼女、札幌で、12月5日の宇崎竜童さんのフラメンコ「曽根崎心中」に出演されました。
また、会場には多くの旧知の方々が多くいらっしゃいました。
阿部一理先生や子育ち文化研究所の澤田季里先生、有岡夫人、
IDP出版の和泉社長、降りてゆく生き方の森田さん、蓬さん、
本応寺の僧尼のみなさま、磯田御夫妻の共通の仲間たちが
大勢集ってくださいました。
何か、同窓会のようで、とても懐かしくとても高揚してしまいました。
帰りは、皆さんとイーハトブー・クリニックの萩原優医院長と語り合いました。
来年もまた、この衣食の本質と意味合いが、広く伝わればと思います。
11月16日の東京・講演会で、宿をどうしようかと思ったときに、
今回真宗の求道会館だったので、お寺にしようかと、ふと頭によぎった。
そういえば、一昨年の夏ヘンプの会に尼さんがいらしていたな、と思い出していた。
毎年カレンダーが贈られてくる東京の本應寺・栖岸院さんで、
今年も地下洞で念仏会の会場をお貸ししたご縁があった。
早速、電話してみると「どうぞ、いいですよ」と言うことになり、お言葉に甘えた。
その日、丁度登別から野崎さんが来店されていたので、まさかと思ったのだが、
「明日、東京に一緒に行きませんか」と問うと、本当に
「いいですよ!」と言うことになって、内心ビックリしながら、翌日共に旅立った。
着いて見て驚いたのが、
愚静尼がまほろば自然農園裏の盤渓出身だったということである。
何と言うこと!
そして、みんなウサトの作務衣を着ている。
どうして?
すると、ウーさんがまだ無名の頃、ここの品愚住職が働きかけて普及をお手伝いした。
ここでもウサト展を開いたというのだ。
翌日、都合でウーさんが来られなくなったが、ウーさんの会のようなものだから、
そういう因縁で、今回偶然ここを選んで来たのか、と思った。
朝晩、慣れない念仏のお勤めに参加しながら、えもいわれぬ別世界を味わった。
カレンダーを見ると、こんなことが書かれてあった。
んん、そんなこともあるのか、と思いながら16日朝、本郷の会場へと向かった。
そして、尼さん全員、参加されるということになった。
(左から二人目が愚静尼さん)
http://www12.atpages.jp/dreambig/
韓国の後藤吉助翁が、この度『母を慕い讃える会』を立ち上げました。
先回のブログ「僕を支えた母の言葉」でも、そうですが、
いかに母の存在が大きいか、
後藤翁もまた、お母さまの後姿を見て、今の人生を歩むようになったのです。
色々な難しい事や立派なお話をしても、やはり
心に愛を感じないものは、聖パウロのコリント書にある
「13:1 たとひ我もろもろの國人の言および御使の言を語るとも、愛なくば鳴る鐘や響く鐃鈸(にゅうばち)の如し。
13:2 假令われ預言する能力あり、又すべての奧義と凡ての知識とに達し、また山を移すほどの大なる信仰ありとも、愛なくば數ふるに足らず。
13:3 たとひ我わが財産をことごとく施し、又わが體を燒かるる爲に付すとも、愛なくば我に益なし。・・・・・」
のように感じるのです。
後藤翁の実践の根底にあるものは、母への愛なのです。
私にとって、それを真正面から言ってのけて、
真剣に取り組まれる、そのお姿に素直に感動するのです。
今時、人間にとって、こんな本質的なことを語ることすら出来なくなって来ています。
後藤翁の切実なる思いと願いが、
自作曲の「母を慕い讃える歌」に凝縮されています。
これを、世界に送り届けたいという夢を抱いていらっしゃいます。
まほろばもこの運動に賛同し支援させて戴きたいと思っております。
よろしくご理解・ご協力のほどを、お願い申し上げます。
http://www12.atpages.jp/dreambig/jpheart/hahatataeru.html
先月、札幌で「北東アジア共同体平和機構」主宰の「日韓友好について」の講演会後、
小樽で、ささやかながら後藤翁の米寿のお祝いをさせて戴きました。
日韓友好に、母恩に、イノチをかけていらっしゃるお姿、
88歳とは思えない、お元気な行動力に、私達もがんばらねば!と思います。
この一連の唄は、CD化され、有線放送でも流され、
なんとジャスダックのカラオケに、5曲も入っているんです。
びっくりでした。
どうぞ、カラオケに行かれる際には、是非一度試して唄ってください。
そうして、応援してください。
来年も、皆様にとって、良き年になりますように、お祈り申し上げます。
昨日、登別のアイ企画・野崎秀夫さんから、年末のお手紙を戴きました。
以前から、ご紹介戴いている梅原司平さんのことは存じ上げているのですが、
時のご縁でしょうか、彼の唄に動かされ、それと野崎さんが同封してくださった
ある方の「おかあさん」への想いの綴りが重なって、
皆さまにお知らせしたくなりました。
また韓国の後藤翁も「母の会」を立ち上げましたので、次回お知らせいたします。
まずは、野崎さんの許可を得て、文章と共に、動画も添付します。
宮下社長!
沖田 真琴 @野崎秀夫です。先日はありがとうございました。
このCD是非お聞きください。お願いします。(以下は私の顧客にお知らせした内容です)
拝啓
18日(木)午後2時から90分、NHKラジオ第一に、シンガーソングライターの梅原司平さんがゲスト出演されました。
しかし、今回の爆弾低気圧で、肝心なところが北海道のラジオでは聞けませんでした。
ところが・・
偶然ある方から依頼を受けてパソコンで録音していたので、聞き直して感動しております。
もし、聞きたい方が居られましたら、CDに焼いてお届けいたします。
梅原司平
内容は、NHKのブログから引用してご紹介します。
『売れない歌手でよかった』
キャリア40年以上、“アラ古希”とは思えない艶やかな
声と見事なギターテクニックをスタジオで御披露ください
ました。でも、何より、歌詞に込められている司平さんの
思いの深さが、パーソナリティ陣の胸にストレートに刺さ
ってきて、“みちや”の目に 涙・・・きっとラジオでお聞
きになっていた皆さんの胸にも届いたことと思います。
昭和20年の富山大空襲のとき、お母さんのお腹の中に
いた司平さん。自宅は全焼、疎開先の物置小屋で生まれ、
お母さんや兄弟から空襲のときの様子を繰り返し聞かされながら、
大きくなりました。
30歳で故郷を離れ、歌手としてデビューするも、なかなかメジャーになれません。全国各地でオリジナルコンサートをしながら、フォークソングの原点である“ラブ&ピース”をテーマにした歌を作りたいとずっと思っていたそうです。そして、被爆者の方と知り合い、平和の歌を作ることになったとき、子どものころ から聞かされてきた富山大空襲と改めて向き合って、今も歌い継がれる『折り鶴』が生まれました。
今日、もう一曲歌っていただいたのは、東日本大震災の被災地、福島県楢葉町との交流の中で作られた『望郷』。司平さんの歌は、弱い人、苦しみにある人たちのそばで生まれ、癒しと励ましを与えています。
番組でもご紹介いただきましたが、司平さんのファンの方たちは、コンサートのあとに書くアンケートの内容が濃いんです!学校コンサートでの小学生の率直な 感想にも驚かされましたが、多くの人が、ご自分の人生や生き方を司平さんの歌に重ね、明日へ、未来へ生きる力にしていることがわかります。そして、その1 枚1枚を大切にしている司平さん。
売れたほうが、多くの人に歌を聴いてもらえるからもちろん良いのだけれど、でも、ご著書のタイトル『売れない歌手でよかった』ではありませんが、こうして人々の思いを近くで感じて、くみ上げることのできることを幸せに思っている司平さんでした。
引用おわり
ラジオ深夜便に登場してから11年余り。久々に90分のラジオ番組に登場されました。
彼の一途な営みに感謝して、この一年を終えることを幸せに感じております。
皆様のご健康をお祈り申し上げます。
http://www005.upp.so-net.ne.jp/pulana/
ありがとう
¥1,000 Amazon.co.jp
敬具