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まほろば自然農園
 
   

 

   

 

   

 農園はどこもかしこもカラカラで、ちょっとお手上げです。
第5農場の溜池は、とっくに涸れてしまいました。
水が命の野菜たちですが、命綱を取られてしまいました。
水が必要な時は、第4農場から長いホースを伸ばして潅水しているので大変です。

 梅雨というもののなかった北海道も最近では、今時期、蝦夷梅雨(文学的に<リラ冷え>とも・・・なんと風流な)と称せられる梅雨もどきで、雨の多い日が続くのですが、それらしくもありません。

 本州は濠雨なのに、神様にはバランス感覚と言うものがないのでしょうか?いいえ!神様のバランス感覚はもっとスケールが大きくて、地球的視野で、凡夫にはにわかには理解できないのです。





 

 

   

 

   
 小松菜、水菜、チンゲン菜、ほうれん草、大根菜、ニラなどの青菜が露地できれいに出来ています。かぶ、サラダ菜、サニーレタス、レタス等も皆きれいに、柔らかく、美味しく出来ました。

しかも、土壌分析も、パオパオも、寒冷紗も、虫よけネットも、自然農薬も、コンパニオンプランツも、何にも使わないでです。0−1テスト万歳です。



 秋、冬の露地や、春一番のハウスの青菜は、寒いので虫も来ないのですが、春、夏は温度が高く、乾燥し、紫外線も強いので、露地で青菜を作るのは難しいのです。

露地一作目は潅水設備が間に合わず、乾燥させ過ぎて失敗しましたが、2作目以後は、林に囲まれて日照時間が短く、潅水設備も整った第一農場に替えて順調に出来ています。
今は、露地4作目のほうれん草や小松菜が採れている所です。





 



 

   

 

   

 人間と同じで、過栄養でも栄養失調でも虫や病気がつくので、腹8分目にしてあげるのがなかなか難しいのです。

少なめに施肥してあげて、雨が降らないと肥料が吸収できないし、微生物も活動が鈍るので栄養失調になったり、逆に丁度よい位に施肥していて、雨が続くと栄養過多になってしまいます。

それで、スプリンクラー(散水器)をつけて水分調節をしています。まほろば農園は傾斜地なので、乾燥対策さえ出来ていれば、雨が降り過ぎて困ると言うことは余りありません。






 

 

   

 

   
 第一農場は、青菜類に適しているのですが、その分春の雪融けが遅いので、どうしても雪融けの早い第4農場に第一作目を植えてしまうのです。
 

   
 第4農場は、朝早くから夕方遅くまで良く日が当たるので、ナスやピーマン、きゅうり等の果菜類に適した所です。
しかし、傾斜がきつく防風林もなく、春は突風が吹くので、余計に乾くのです。
それで、果菜類も初期成育が悪く、出荷が遅くなるのですが、後になるほど良くなって来るところです。







 
   

 

   

 

   

 大葉はハウスの中に、こぼれダネから自生したものを、そのまま生かして育てました。
去年は、露地に植えたのが遅かったせいか、種に実が入らず種族保存の危機でした。

 ところが、一昨年種落としした茎葉をハウスのトマトのマルチに使ったので、落としきれなかった種が落ちて、自生したようです。5〜6本ほどしかないのですが、長年自家採取を続けて来た種なので、大事にして子孫を残してあげたいと思います。
偶然に遺伝子が繋がりました。
きっと、種も必死で生き残りたかったのだと思います。
福田君が、草掻きする時に見つけて残してくれたのです。
毎日、平均100枚くらいしか収穫できませんが、大切に大切に育てています。

 その他、ハウスの中では、一作目に植えた春菊と陸のりがまだ少しずつ採れています。





 

   

 

   

 ミニトマトやトマト、ピーマン、ズッキーニ、きゅうり、にんにくの芽、生にんにく等も少しずつ出荷が始まっています。
もう少しで、大根や、キャベツ、ブロッコリー等も出荷できそうです。


   

 もう少しで、大根や、キャベツ、ブロッコリー等も出荷できそうです。
もう、長い間雨が降らないので、作物の生長が遅く、出荷が予定より遅れています。





 

   

 

   

 去年からずっと欠かさず来て下さっている(土・日)国一点の男性の桶屋さん、毎日のように10時半頃から12時頃まで来て下さる榊原さん、土曜日に2時間ほど来て下さる斉藤さん、火曜日に2時間ほど来て下さる土井さん、昨日(7月3日)一日手伝って下さった国井さん。

 元農園のパートさんで、その後、ソフテリアに勤めて下さり退職された千葉さん(金曜日)、去年の研修生の佐々木さん(男性)も第3農場で、まほろば用のジャガイモやかぼちゃ、『ひょうげ味噌』(まほろばオリジナル味噌)用の大豆を作ってくれながら、農作業の手伝いもしてくれています。

 皆さん、ご自分のご都合の良い時間を少しでも割いて下さり、皆様のお陰でお野菜が育っています。
草取りや、定植など誰にでも出来るけれど、なかなか手が回らない所を助けて下さるので、農園はどうにか回っています。
 この場を借りてお礼申し上げたいと思います。





 

 

   

 

     まほろば農園の看板も古くなり、字も色あせて分かりづらくなってきたので、表面を削り直し、主人が字を書いてくれて、業者の人に少し彫りを入れてもらいました。余りにりっぱになり過ぎて、片付けの行き届かない農園が気恥ずかしい感じです。


 

     旭川の小学6年生の有志のグループが、修学旅行でまほろば農園を研修先に選んで下さり、看板が出来たての時だったので、その前で記念写真です。

6年生と言えばもう立派に大人です。
用意してきた質問や受け答えのりっぱな事。
この子たちは、標準的な6年生なのか?、それとも優秀な子たちばかりが集まったのか?比較できないので分かりませんが、日本の将来も捨てたものではないと感心してしまいました。



 




 

   
 

 農園でボランティアをさせて頂いている榊原と申します。

今年の4月から、娘が幼稚園に通い始め、ようやく自分の時間が出来たので、平日の午前中、一時間半という短い時間ですが、農園に通っています。
3月に東京から引越してきて、農作業も初めての事で、初めてづくしの毎日です。


 私が農園のお手伝いがしたいと思った理由は、東京であの大地震の直後、まだぐらぐらと余震がゆれて周りの人々がゆれるたびに不安な表情で立ち止まる中、自宅近所の畑でおじいさんが一人もくもくといつも通りに作業をしていました。
その姿を見た時「やっぱりこれからはこれだ!」と。
地に足をつけた生活をしている人というのは、いかなる時も動じないものだなぁと思いました。

 以前より、東京で宮下洋子先生の授業を受け、まほろばの存在も知っており、農園だよりを通じてボランティア募集のお知らせなど拝見していましたので、東京での生活にも限界を感じ、移住する事にしました。



 畑へ通う前は「畑の作業って、大変なんだろうなぁ〜」と漠然と思っていましたが、実際にやってみると、勿論、体は少し疲れるのですが、それよりもデトックス効果がある様な・・・なんだか心身に良い気がします。

 私は一日中、家の中に居たりすると、頭の中でぐるぐると考え事を始め、イライラしたり、最終的にはぐったりするのですが、畑に行くとぐるぐるがだんだん治まり、別の考えが浮かんだり、スッキリしたりします。
それに心地よい疲れの為か寝付きが良いのです。
そうなってくると、イライラする度に畑に行きたいなぁ〜、などと思う様になってしまいました(笑い)。

 畑に行くと毎日色々な発見があります。
今まで「レタスなんかたいして栄養はないだろう。」などと勝手に思っていましたが、昨年植えたレタスから落ちた種が、この極寒の地の冬を乗り越え、乾燥し、ひび割れた大地から芽を出し、たくましく自生している姿を見た時、レタスの生命力に驚き、それ以来、毎日の様に食しています。



 畑ではセミが鳴き、時には馬のいななきを聞き、たまーに熊の出没を想像し、(でも、福田さんが、熊が出たら「熊の手が欲しいので捕まえます。」と話していたので、それ以来、熊の心配はしなくなりました(笑)。)

ハトの鳴き声を何かのアラーム音とカン違いしたりして・・・自然を満喫しています。畑で唯一辛いのは、寒さです。
今後はもう少し体力をつけ、冷え症を改善し、レタスの様な強さを身に付けたいなと思います。

 そんな訳で、畑に行くと心身共に健全な方へ向かってゆける様な気がします。農園に、札幌に、来る事が出来て、家族に、まほろばの皆さんに感謝しています。ありがとうございます。
これからも、どうぞよろしくお願いいたします。    
榊原 実幸

 

   

 
 一週間の日を開けて、二度ほど、少しの時間、伺わせて頂いたばかりです。

「かえってご迷惑になりませんように」と願いつつ、猫の手にも及ばない子猫のようなおつとめになりましたが、お二人の先輩ボランティアさんにもお目にかかれて、農園への敬意と感謝の思いに満ちたひとときを授けて頂きました。

 初めての日には、よく頂いている二つの菜っ葉、小松菜の収穫と青梗菜(チンゲンサイ)の草取りを、二度目の日には、これも好きな韮(ニラ)の移植の為の掘り起しをしました。

 小松菜は、土の上の部分から水平に切るようにして箱に収穫し、場所を移して改めてふた葉や余分な葉を取リ除き、身支度を整えます。虫食いの穴が多少ある葉も、何かもったいない気持ちがして「これくらいなら虫さんと共食かな」と大凡(おおよそ)そのままにしてみたのですが、ご指導を頂いて、途中からかなり省いてみました。けれども、もったいなさとの兼ね合いが難しく、株によってムラが出てしまった気がしています(ごめんなさい)。

作業が終わった後、取り除いた葉は再び畑に鋤き込まれるとお聞きして、「そうだったのか」とほっとしていました。

 
 青梗菜の草取りは、空気が通るように周りの草を取り除く作業だったのですが、同じくらいの背丈の草ムラの中の主役を見分けるのが、徐々に近視眼的になってしまうのか、時間が経つほどに困難になるような気がして、時々立ち上がっては腰伸ばしをして、全体を見るようにしました。すると今度は青梗菜がちゃんと見えます。
この繰り返しを何度もしました。

 韮の掘り起しでは、初めて韮の根を目にしました。
見るからにしっかりしていて、生き物の足のようでもあり「何て丈夫そうな根なんだろう」と思いました。
子どもの頃、病み上がりの食事には大抵、お粥と白身魚のお煮付けを、それに「何か食べたいもの」と訊かれてよく「にらの卵とじ」と答えていました。

 韮の消化を按じつつ作ってくれていた半熟に綴じた美味しそうな卵とじが、黙々と取り組んでいた作業の途中に邪念のように浮かんできて、「いけない、いけない」と思いつつ、内心笑ってしまいました。でも、あの根を目にして「きっと病み上がりに強い生命力を頂いていたに違いない」と、しみじみ合点が行くような思いがしました。
この日はよいお天気で、作業の終盤には草臥(くたび)れ気味の茹でダコが一匹、畑の上に出来上がっていました。

 こうした夫々の日、畑の中で膝を折り、土にひざまずきながら、人が大人へと成長するに連れ、少しずつ背が伸びて、いつの間にか子どもの頃より随分、目線が地面から離れてしまうこと。
それに伴うように、見えるようになる何物かのかわりに、見えなくなってしまう「まなざし」のことが静かに想われていました。

 作朝、『天地有情』という言葉に触れました。
「天地とは人間も含んだこの世界のこと、有情とは生きもののことです。つまりこの世は生きもので満たされているという意味です」と、田んぼのお話をされていた著者の方は、意味深い言葉を此処ではこう語られていました。
この言葉を目にして「ああ。誠にあの場所は、天地有情の農園であった」と、静かに思われました。

 畑の上には、無数の甲虫類たちが生き生きと闊歩し、土の中には大小のミミズが収穫するほどに生きていました。天に地に、沢山の生きものたちの気配に満ちている「まほろば農園」です。

今は、お店で出合う一つひとつのお品の背景に居られる、数々の田畑とお百姓さまの姿が、以前より一層、心に映ることを感じて「ありがたさ」を深める日々です。

  感謝の内に       土井 茂子


2012年7月号
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