この度、まほろばホームページの主人が書いているブログに『食』に関する質問がありました。
『食』については私が適任と言う事で、数々の質問にお答えする事になりました。
これまであまり深くは触れて来なかったのですが、今回、真正面から真摯な質問を戴きましたので、一つ一つ丁寧に答えさせて戴きました。
それらは、質問者ばかりでなく、ブログをご覧にならないお客様にも読んで戴きたいと思える内容になりましたので、まとめて、まほろばだよりとして発行させて戴くことになりました。
“これからの『食』はどうあるべきか” を考えていく上で、皆さまのたたき台になれればと考えています。
Q:質 問
最近知ったのですが、共に講演なさった森下敬一氏は肉は血を汚すからガンの元となると、甲田光雄氏は現代の魚はダイオキシンの宝庫だとおっしゃられておます。宮下氏はどのようにお考えでしょうか?
もしよろしければ、お聞かせください。
Posted by: sin | 2009年06月03日 08:32
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A:お答え
宮下洋子です。
森下先生の「肉は血を汚すからガンの元となる」や、甲田先生の「現代の魚はダイオキシンの宝庫」と言う事は、残念ながら0-1テストによってもその通りです。
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それは、肉類、魚介類に限らず、タマゴや、乳製品、野菜や果物、きのこ、海草、穀物、加工食品、すべてに渡って同じことが言えます。
現代ではどんな物にも例外はありません。
一般的に言って、ガン治療に使えるような安全で、生命力の高いものは少なくなってきています。
私たちが、オリジナル商品の開発や直営農場を経営するようになったのは、そのような危機感からでした。
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一方、森下先生や、甲田先生のお言葉には、食品汚染と同時に動物性食品を否定される意味も含まれています。
恐らく、sin様もそれを質問されておられるのだろうと思います。
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自然食品店の多くは、玄米菜食を推奨し、動物性食品は血液を汚すと考えられているのが一般的だからです。一方、森下先生や、甲田先生のお言葉には、食品汚染と同時に動物性食品を否定される意味も含まれています。恐らく、sin様もそれを質問されておられるのだろうと思います。
自然食品店の多くは、玄米菜食を推奨し、動物性食品は血液を汚すと考えられているのが一般的だからです。
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私もマクロビオテイックの創始者である桜澤如一氏の信奉者であり、自称弟子であり、また、西医学や甲田光雄先生にも学び、森下先生の血液理論も医食同源の科学的根拠として、すべてが、私の食養思想の根幹を形成してきました。
(今もそれは変わりありません)
しかし、30年ほど前から0−リングテストを知り、もっと、食の世界は自由で開放系である事を知りました。
0−1テストによる良し悪しは、汚染されている物と、されていない物、生命力の高い物と、低い物の区別があるだけで、動物性食品と、植物性食品の区別はありません。
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動物性食品でも自然な環境でよい餌を与えられて育ったものは、プラス反応になりますし、植物性食品でも農薬や化学肥料や添加物を使っているものはマイナス反応になります。
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森下先生も(つい先日お会いしたのですが)、長寿村で饗応された食べ物が大変おいしく、聞いてみると、その地方で自然に飼われているミニ豚だったそうです。
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早速、氣能値(自然治癒能)を計ってみると大変高い値で驚かれたとのこと。 私たちが25年前に自然食品店を始めた頃、どんな動物性食品も0−1テストすると、良いものがありませんでした。
野菜もほとんど良いものがありませんでした。 (現在も同じですが)
自然農法のもの(無肥料か、動物性の厩肥を使わないもの)は、無農薬なので、安全性はプラスなのですが、免疫力(自然治癒能や抵抗力)はあまり高くありませんでした。
私たちの言葉で言うと、生命力がそれほど高くなかったのです。
総合的に一番良かったのは厩堆肥を使った無農薬のものでした。
化学肥料は、厩堆肥と共に少量使えば、農薬ほど悪いものではありませんでした。しかし、厩肥は、エサに化学物質の多いものは×で私たちの知る限りでは、競馬場の馬糞が××でした。ただし、安全性さえ確保されれば、厩肥は使った方が◎でした。
【余談ですが、農薬は、除草剤が一番悪いと反応しました。
どんなに他の農薬を使ってなくても、除草剤を使っているものは、即座に×でした。
免疫系とホルモン系で×になりました。環境ホルモンが騒がれた時に、除草剤がホルモン系と分かり、なるほどと思いました。
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今でこそ、JAS法ができ、除草剤を使っているものは有機農法とは表示できなくなりましたが、それまでは、無農薬と表示されていても、除草剤だけは使っているという野菜が多かったのです。】
このことは、野菜に限らず、人間も同じで、安全で、自然に育てられた動物性食品は、上手に取り入れた方が、体調も良いし、パワーも免疫力も高くなるのです。
もちろん、私たちも毎日食べています。(但し、0−1テストに合格したものしか使いません)
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従って、森下先生や、甲田先生の言われるように、肉や魚は一般的には、発ガン物質になることが多いのですが、本質的には(安全な物は)、抗癌物質であるというのがまほろばの考え方です。 |
但し、病気になった時や、カロリー過多の時は、動物性食品はもちろんのこと、カロリーのある3大栄養素(糖質、たんぱく質、脂肪)の代謝能力は低下してしまいます。安全なものでも代謝できません。
従って、病気を治す時は菜食の方が良いのです。
代謝できないものは、ガン細胞のエサになってしまうからです。
ガンを始めとする現代病のほとんどは食べすぎなので、ご飯もパンも砂糖も、肉も魚も卵も乳製品も大豆製品も、豆類も、カロリーのある物は全部抜いてあげます。
そして、薄塩味の(人によっては無塩)の白菜スープだけあげていれば、カロリー過多が段々取れてきて、次第に体に不足しているもので、しかも代謝しやすいものからプラス反応になり、次第に食べられるものが増えて行きます。
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0−1テストの順番で食べていくと、過不足のバランスがとれていきます。毒素の多い人ほど断食状態が長く続き、病気の細胞が逆分化して、有用物質やエネルギーに変わったり、排泄されたりして、次第になんでも食べられるようになる頃には、病気の症状は消えているのです。
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血液の栄養バランスがよくなると、病気の症状は消えるのですが、もちろん、内臓まで良くなるのは、4ヶ月くらいかかります。
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長い間の0−1テストの実験と実践によって分かってきたことは、現代人は、一般的に言って、糖分のみならず、炭水化物やリノール酸系の植物油(紅花油、ゴマ油、大豆油、ピーナツ油、トウモロコシ油、調合サラダ油、調合油、ひまわり油、綿実油、米ぬか油、特保の油など)の、取りすぎで、カロリー過多になっている場合が多いことでした。
(私の書いた小冊子『糖について』と、『油について、T、U』をご参照下さい。sin様にはこちらから送らせて戴きます。
ブログを見ていらっしゃる方で、ご覧になりたい方は、
お電話かFAXでお申し込み下さい。(無料です)
また、ホームページに掲載されている『人の天食とは』のシリーズも参考になると思います。
これはまだ未完で、最後の閉めが出来ておりませんが、その内書くつもりです。
以上、十分には書きつくせませんが、さらにご質問があれば、また、お答えしたいと思います。
有難うございました。
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Q:コメント
少し安心しました、ありがとうございます。 ただ、後ひとつだけ気になることがあります。それは、牛も豚も、殺される前に涙を流すと知りました。
そして、その負のエネルギー、怨念を食するから良くないと。 お忙しいところ申し訳ないですが、この件に関して、お聞かせください。宜しくお願いします。
Posted by: sin | 2009年06月14日 08:39
A:お答えいたします
宮下 洋子
この件についても、菜食者の方たちが動物を食べることに反対する理由の一つになっています。
私も最初、殺生は残酷と考えて、16歳から39歳位まで23年間位、主人も15年間位菜食でした。
私は、殺される前に牛も豚も涙を流すかどうか、自分が実際に見たことがないので分かりません。でも、殺されると分かれば哀しいだろうし、人間を恨むかどうかは分かりませんが、大きなストレスを受けることは確かだと思います。しかし、抵抗すると言う事はないそうです。
一方、植物も刈られたり、収獲されたりする時は、ある種の毒のある酵素を出すそうです。
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時によると、食するものを不妊にするほどの力もあるとか、
死というものに対する感情は、それぞれに表現形態が違うだけで、動・植物の区別も、また、大小の区別もなく、生命を絶たれると言うことの厳粛なショックは同じなのではないかと思います。 |
誰がその軽重を決めることが出来るでしょうか?
生きとし生けるものすべてが、人も含めて、ひと繋がりの大生命の一部なのですから。
大切なことは、自らを養うために他の生命体の命を戴くことへの感謝、必要以上に食べないこと、食べ物をムダにしない事、そして、戴いた命をムダにしないような生き方をすることではないでしょうか?
アイヌの人たちは、クマを殺した後、鎮魂の儀式をし、感謝して食べました。
これは、私たち文明人が見習うべき、食と言うものに対する本質的な捉え方であり、本来的なあり方ではないでしょうか。
学校では、作ってくれた生産者の方たちや、料理をしてくれたお母さんに対する感謝は教えますが、命を提供して戴くということに対する厳粛で根源的な感謝の念は、教えていないように思います。 |
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あらゆる生命の犠牲と献身は、私たちが感謝して大切に戴くとき、善も悪もセンチメンタリズムもない生態系の大きな連関の輪の中で、大自然の摂理に止揚され、昇華されて行くのではないでしょうか。
それが、生命の木の最終章として位置づけられた人類の役割であると考えられないでしょうか?
そしてまた、私たちも微生物のエサになり、分解されて生命の始原的エネルギーとして、リサイクルされて行くのです。
また、動植物がどのような育てられ方をしたのかによっても、哀しみのあり方は違うと思います。
出来るだけ自然に、良いエサ(肥料)と生活の場を与えられ、愛情一杯に育てられた動植物は、哀しみと同時に、生態系の一翼を担うと言う本能的、直感的な観念を持つと同時に、人に生まれ変わることに、誇りと喜びさえあるかも知れないと勝手に考えています。
だから人間は、その命を戴いて、動植物がこの人のもとに生まれ変われて良かったなと思われるように、彼らの死をムダにしない生き方をしなければいけないのだと思います。
その事によって、死は死ではなく、新しい命の始まりになるだけでなく、種の中だけでの閉じられた連関の輪から、生きとし生けるものすべて包み込む大生態系の連関の輪の中に喜んで飛躍していけるのではないでしょうか?
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また、犠牲になった動植物の『種の保存』と言うことも大切だと思います。
肉を太らせる為に、人間の都合だけで去勢したり、女性ホルモンを与えたり、エサ代の節約のために鶏舎にオスを入れないで、無精卵にしたり、ケージ飼いにしたり、自家採種しなかったり、こんなに不自然で残酷なことはありません。
動植物は楽しい一生を送ることも出来ないし、ちゃんと自然な形で子孫を残してあげなければ、安心して死ぬことも出来ません。
それこそ、恨みの念が残るのではないでしょうか? |
添加物や農薬のかかった食べ物は、添加物や農薬だけが怖いのではありません。お金さえ儲かれば良いと言う意識で作られたり、育てられたりするから怖いのです。
そのような意識で育てられた動植物が殺される時、どのような意識を持つでしょうか?
人間になんか生まれ変わりたくないのではないでしょうか?
そして、それらを食べた人の精神はどのように育っていくのでしょうか?
前回ご紹介させて頂きました、まほろばホームページ(健康コラム欄)に掲載されている自著『人の天食とは』の小冊子にも書いてありますように、人類はもともと菜食ではありませんでした。
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http://www.mahoroba-jp.net/about_mahoroba/tayori/column/column_shoku1.htm
人は食べられるものは何でも食べて生き残ってきたのです。
と言うよりもだからこそ生き残ってきたのです。
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そして、火や調味料を使って料理したり、発酵させたりして、硬い肉や繊維の多い植物など、生では食べられないようなものや、毒のある物まで食べられるようにして、食べてきました。
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この食の複雑高次元な組み合わせと、スケールの大きさが、人類を進化させて来たのです。このことが、人と他の動物との違いを作って来たのであり、人は、豚のように単に雑食動物なのではなく、料理したり、加工したりする雑食動物なのです。
人が菜食をするようになったのは、宗教が出来てからでした。
また、国家と宗教が結びつき、民を治めるための国策としてでした。
また、現代では、食品添加物、農薬など、不自然な食べ物が食べられるようになったり、肉体労働が少なくなったり、裕福になったりして食べ過ぎるようになり、人々が代謝障害の病気に罹るようになって、治病食としての菜食も始まりました。
(それまでは栄養失調の病気が多かったので、栄養のあるものをあげると治りました。)
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しかし、栄養過多や、カロリー過多のための治病食を何時までも続けていると、栄養失調になり、今度は逆に、それが原因の病気になってしまいます。そこら辺の切り替えが大切だと思います。
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治病食と健康な人の日常食は、区別して考えるべきではないでしょうか?健康な人の日常食は、できるだけ自然な物を、感謝して、腹8分目に幅広く何でも食べる事、そしてよく働く事だと思います。
以上、思いつくままに書いてみました。また、疑問があれば、どんなことでもお寄せ下さい。ありがとうございました。
Q:コメント
強い関心をもって読ませていただきました。
感想としては、今まで自分なりに続けてきた玄米菜食が「食」に関して終着点と考えておりましたので、「目からウロコ」の心境です。
これからも学ばせていただきたいと思います。
ところで、以前から気になっていたことがあるので、この場をお借りして質問させていただきたいと思います。
「肉を食べると攻撃的な考え方と行動を生み出すことがある」や「菜食であれば攻撃的にはならない」と良く耳にしますが、よろしければこの事についもお答え頂けないでしょうか?
よろしく御願い致します。
Posted by: 和 | 2009年06月18日
20:20
A:お答え致します
宮下 洋子
「肉を食べると攻撃的な考え方と行動を生み出すことがある」や「菜食であれば攻撃的にはならない」と言うのが、菜食者の依拠するところですが、私も長い間そのように考えてきました。でもよくよく考えてみれば何の根拠もありません。なんとなく、イメージ的にそう思わせる所があるので、信じてしまいやすいのだと思います。 |
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『食するものがその人となり』であるならば、牛や馬や、羊や豚や鶏や鹿は、人が攻撃しなければ、自分から攻撃をしかける動物ではなく、極めて平和的な菜食あるいは雑食動物で、これらの肉を食べたからと言って、攻撃的になるとは考えられません。
クマはちょっと怖いですが、それを食べてきたアイヌの人たちも攻撃的とはいえません。むしろ、江戸時代から四足獣を食べなかった屯田兵が、平和的な民である彼らを追い払い永住したのです。
太平洋戦争を最後とする侵略戦争を起こしたのも、江戸時代から四足獣を食べなかった日本人でした。
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さらに驚くべきことは、あの残虐極まりないヒットラーは菜食でした。
また、チベットでは野菜が育たず羊の肉が主食で、当然、ダライラマ14世などのラマ僧仏教徒も肉食ですが、中国の不当な弾圧がなければ、暴動を起こすような攻撃的な人たちではありません。
イヌイットの人たちも海獣(アザラシなど)が主食ですが、攻撃的な人たちではありません。 |
以上のことからも、「肉を食べると攻撃的な考え方と行動を生み出す」や、「菜食であれば攻撃的にはならない」と言うのは説得力がないことがお分かり戴けると思います。
それでは、暴力や犯罪と食はどのようなかかわりがあるのでしょうか?
現在、『アメリカ生物社会研究所長』である、アレキサンダー・G・シャウスは、裁判所の保護監察官から、主席矯正管理官などを歴任しながら、暴力や犯罪と食の関係を、栄養学的、医学的、かつ統計学的見地から科学的に考察し、実績を上げている人です。
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彼によると、アメリカでは、暴力犯罪の50パーセント以上が、その犯罪のすぐ前にアルコールを飲んでいたと言う統計調査があります。
アルコールが、一時的に人格を変えることがあるのは衆知の事実なので、異論はないと思います。
次に、低血糖症が暴力を始めとした行動障害を起こすと言う統計的、臨床的データや、研究報告は、山のようにあります。
その原因物質として標的に上がったのが白砂糖でした。
白砂糖は、ブドウ糖と果糖が合成された2糖類ですが、その中のブドウ糖が代謝にインシュリンホルモンを必要とし、白砂糖の大量摂取の繰り返しが、インシュリンの過剰分泌を招き、低血糖症に至るというものです。
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●果糖はインシュリンがなくても代謝できて、高血糖症にも低血糖症にもならない糖で、すい臓に負担をかけません。
まほろばでは、テンサイ糖由来の果糖を主体に2糖類(蔗糖=オーガニックブラウンシュガー)、オリゴ糖類、多糖類(クマザサ粉)、高分子多糖類(羅漢果)等を人体生理に合わせて0−1テストでバランスよく配合したひふみ(一、二、三)糖をオリジナルに作っています。
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0−1テストで、砂糖は白いからいけないのではなく、砂糖の大量摂取によるブドウ糖過多がいけないのだと、早くから気づいていたためです)
多くの研究によると、犯罪者の80〜85パーセントは、低血糖症で、コーラやソーダ、などの清涼飲料水や、缶コーヒー、アイスクリーム、キャンディーなどを大量に、異常に食べている人たちでした。(アル中患者についてのある研究では、97パーセントが低血糖症だったという報告があります)
ここまで異常ではなくても、お腹が空くと(血糖値が下がると)怒りっぽくなったり、イライラしたりする人はいるものです。
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さらに、糖の代謝にはビタミンB1が必要で、大量のブドウ糖をエネルギー源としている脳にとって、B1不足は致命的で、脳の基底部分(小脳、延髄、橋梁)に機能障害を来たし、興奮性、攻撃性、衝動をコントロールできない、批判を処理できない、記憶障害、集中力欠如などを起こしやすいとされています。
カフェインも大量にB1を消耗するで、コーヒーなど大量にとると、精神不安定になり、犯罪者も多いという報告があります。また、アル中患者にはB1不足の人が多いとのこと。
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●果糖はインシュリンは必要としませんが、B1は必要なので、ひふみ糖といえども大量に取りすぎるのはよくありません。
ただし、筋肉が糖をエネルギーに変えるときは、B1を必要としないので、スポーツ選手や肉体労働者は、大量に糖分を取ってもB1不足にはならないようです。
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頭脳労働者や、あまり動かない人は、糖分を取りすぎるとB1不足になるので要注意です。
ペルーのクオラ・インディアン社会について研究したラルフ・ボルトン博士は、クオラの大多数の人間は、殺人、強姦、放火,喧嘩、盗みなど、あらゆる種類の犯罪行動を行っており、人口が1000を超える村では、世帯主の50パーセント以上が、直接、あるいは間接に殺人にかかわっていたと言う報告をしています。
血糖を調べてみると、クオラの男性の50パーセント以上が臨床的に低血糖でした。そして、彼らの食事は、たんぱく質が非常に低く、炭水化物が極度に高いものでした。(炭水化物は何千と言うブドウ糖が鎖のように繋がって出来ています)
ハリス博士は、高たんぱく、低炭水化物食が正常で安定した血糖を維持し、低血糖を統制することを発見し、アメリカ医学協会からメダルを贈られました。
しかし、低たんぱく、高炭水化物食だけでは、人はそれほど極端な高血糖や、低血糖にはなりません。
たんぱく質が非常に低いところへ、コーラや、アルコールが入ると、低血糖になってしまい、常習化するのです。
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特に菜食者や低蛋白者は、糖や、カフェインや、アルコールの害を受けやすく、うつや、被害妄想、精神不安定にもなりやすいようです。
また、いわゆる霊障も受け易いようです。
クオラの人たちも、砂糖やカフェインや、安価なアルコールが入ってくるまでは、平和な民だったのかも知れません。
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その他、銅、鉛、カドミウム、水銀、リン酸塩添加物、などの神経毒の過多も、攻撃性や多動などの行動障害を起こすことも知られています。
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これらの事は、砂糖、カフェイン、アルコールの取り過ぎや、食品添加物、農薬、大気汚染、水質汚染、ファーストフードなど、現代文明のもたらした、負の側面であり、これらの生理的基礎の上に、生活習慣や、電磁波の問題、テレビなどのマスコミや、学校教育の問題、さらに、家庭的、社会的な複雑な要因も絡み合って反社会的、攻撃的、暴力的問題は発生するように思います。
従って、「肉を食べると攻撃的な考え方と行動を生み出すことがある」や「菜食であれば攻撃的にはならない」と言う風に単純には決め付けられないのではないかと考えます。
食養家、桜沢如一氏の最終目的は、世界平和でした。
先生は、『食』と言う物を安全・安心や健康を実現するためだけに限らず、人の運命や、人格、その生き方や思想、さらには、国の運命を左右し、国際平和までも実現するものとして、大統一理論を構築された方でした。
それは、
『濁ったり、穢れたりした血液が病を生み、悪想念や争いを生む』
と言うもので『食を正す』ことが人生の第一義とされました。
食は、自らを修め、家族や社会、世界とより良い絆を築く生理的基礎であり、手段であり、智慧でもありました。
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それは東洋哲学を基礎とした弁証法的世界観・宇宙観に裏付けられた、壮大なスケールの中にも確固とした骨組みを持つものでした。
先生の世界観は、あらゆる相対立するものの統一であり、価値観を異にする東洋と西洋の包括的融合であり、平和でした。
従って先生は、本質論的には二元的一元論者であり、一元的二元論者でした。
しかし、余りにも物事を、陰、陽に分類し過ぎてしまい、1=2であり、2=1であり、陰陽は、バランスを取ることによって1になる、と言う本質的視点が希薄になってしまいました。
先生自身の思想の中心軸は、一度もブレたことはありませんが、現実面で動物性食品を否定されるという自己矛盾が起きたのだと思います。
真生活を8〜9年続ければ、後は何を食べても何をしても自由人と言われながら、実際には、玄米菜食の枠から大きく外れることは出来ませんでした。
それは、
1、治病食と平常食を明確に区別出来なかった事。
2、一般の動物性食品と安全なエサを食べ、
自然に育てられた動物性食品を明確に区別出来なかった事。
3、陰陽のバランスが大切なのに、陽性を重んじたこと。
にあると思います。
しかし、その事で先生の評価が下がることはありません。
『食』というものを、あらゆる物事の、 そして、世界観、宇宙観の生理的基礎として、 これほどまでに深く掘り下げ、また、これほどまでに、高く広く価値付けてくれた人はありません。
私の最も尊敬する生涯の恩師です。
ただ、先駆者として、多少応用面で不完全であったかもしれないと、私が思っているだけなのです。
大きな枠組みと、その精神は微動だにするものではありません。
以上、また思いつくままに長々しく書いてしまいました。
今回はマクロビオテイックを学ばれた方でなければ、分かりにくいかなと、思うことも書いてしまったので、関係のない方はとばしてお読み下さい。
ありがとうございました。
引き続きどんな質問・反論もお受けいたします。ご遠慮なくお寄せ下さい。
私たちが何でも食べるようになったのは、24年ほど前からです。
当時まで、どんな肉も玉子も乳製品も、0−1テストするとマイナス反応でした。
やはり、動物性食品は良くないのだと納得していました。
ところが、親しいお客様が、
「これを実験してみてもらえますか?」 と言って持って来られた玉子を0−1テストしてみてびっくり!!
しっかりとした感触のプラス反応でした。 聞いてみると、農家の庭先で自家用に育てられているニワトリの玉子で、自家配合飼料と、庭先のミミズなどの小動物を食べてのびのびと育っているニワトリの玉子だとのこと。
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それは、私たちの価値観が180度変わるコペルニクス的瞬間でした。
100パーセント0−1テストを信じている私たちは、恐る々食べてみて、そのおいしさとエネルギーに更にびっくりでした。
それは、植物性食品にはない異質のエネルギーでした。
0−1テストは、動植物の区別なく、その物の栄養価でもなく、生きとし生けるものすべてに共通の一点、“生命力”に反応していたのです。
“生命力”とは、環境適応力、自然治癒力、雑草のような逞しい力のことです。
自然食をするとは、その命を戴いて自分の命に変えていくことです。
それから、いろんな動物性食品を実験する旅が始まりました。
でも、なかなか0−1テストに合格するような肉や玉子や乳製品にめぐり合うことは出来ませんでした。
「自家配合飼料で育てています」
と言われても、大豆カスなど配合されているニワトリの玉子はすべてマイナスでした。
(大豆油をヘキサンという薬品で抽出するので、残留しているのかも知れません)。
現代では、おからもほとんどが遺伝子組み換えなので、0−1テストに引っかかってしまいます。
自家配合と言っても、100パーセントその質と安全まで保障できるものは、なかなかないのだと知りました。
だから動物性食品は、心にも体にも良くないと言うのは、一般的に正しいのです。
更に、0−1テストしてみると、自然だと思った魚も、海藻も、野菜も、きのこも汚染の程度は、たいして変わらないのです。
調べてみると、それぞれに根拠があるのです。
いつの間にか、汚染大国日本になっていました。
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だから、まほろばは、ただ単に、安全な物を選んで販売するだけでなく、健康な心と体を作る、0−1テストによる、安全で生命力あふれる価値基準に基づいて、一から設計し、自らも生産するようになりました。
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また、大勢の方に0−1テストを学んで戴きたいと思い、0−1テスト講習会を開き、会を重ねています。そろそろ実践編に入って行きたいと思っています。
一人一人の方が、0−1テストをマスターし、汚染をダイレクトに実感すると共に、正しい食養観を確立し、自立した自己管理が出来るようになることが目標です。どうか、気軽にご参加下さいませ。
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