「小国寡民」
老子、「道徳経」第 80 章は、現代に告げています。
大きくなる事は、果たして良かったのでしょうか。
多い事は、本当に豊かな事だったのでしょうか。
今、あらゆる物事が、音を立てて崩れ落ちようとしています。
進歩は疑いもなく素晴らしい事だと信じてきました。
有名に誰もがなりたく、人を押しのけてでも登りつめようとしました。
また、広く友好交流する事は、世界を広める事だと教えられてきました。
まだまだ、色々な美徳や常識や真実とされて来た事があります。
しかし、今まで絶対だと思って来た価値観によって、 今、人類は壊減的な場面を迎えようとしています。
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情報が海のように溢れています。
しかし、その知識に埋もれて私達は真実、幸福になりましたか。
経済の発展や回復を何処の国でも唱えています。
しかし、これ以上生産消費して、資源を食い尽くして構わないのですか。
良き学校、良き会社、それは優秀と保証の標でした。
しかし、荒廃した校内、腐敗した国家を見るに、それは幻想ではなかったですか。
誰もが、容易に他を批判します。他人を、国を。
しかし、容易に変えられない自己がいます。自己は社会の縮図です。
誰もが、今の生活レベルは正当な報償だと考えています。
しかし、世界を見、自然を見ると、物が溢れて異常なのです。
しかも健康を損ない公害を生む物ばかりを作ってでも、あくなき利益を追求して来ました。
自然の見返り、因果の法則が、今人類危機という警告を発しています。
私達は、根本的に何か間違っていなかったでしょうか。
大事な何かを置き去りにして来たのではなかったでしょうか。
今、何かに気が付かねばならない時に来ているのです。
先哲老子は、 2000 年以上前に、自然と同調し、人と和合する理想郷の最も簡潔なモデルを説いています。
「国は小さく、民は寡( 少 )なくあるべし。」と。
今日まで国家拡大の為、歴史は戦争に血塗られ、人口増加は自然の資源を食い尽くそうとしています。
小さな自分、僅かな物で事足りるとする。
これが誰もが幸福に暮し、平和を知る原理だとしています。
狭い範囲、限られた仲間で生活を完結させる。
人に迷惑を掛けず、自然に負荷を掛けない生活こそ理想郷の原点である、と。
それは、自分で作り、自分で収める自給自足の生活観そのものだったのです。
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