しかし、それを公然と口にすることはタブーであった。
その真偽のほどは分からない。 が、その時点から一挙に政情が不安定に陥ったのは必然の流れであった。
それ以後、国王派・議会派・マオイストによる混乱状態が続いている。
若者から多くの反対派が出現するのは当然で、それがマオイストだった。
米国が国軍を武器などで支援しても、武装農民が山岳にゲリラとして出没するマオイストと合流するなど、混乱が激化した。
しかし、このマオイストは、表面的には現中国とは関わりが無く、純然たるマルクス・レーニンの共産主義者だと思われているようだった。
その後、絶対君主制を敷いて戒厳令を発令しても、遂には解除に至った。
日本と同じ象徴王制になり、高まる民主化闘争に、国王は統帥権を奪われ、印度仲介のもと直接統治を断念、議会制度を復活せざるを得なかった。
遂に政教は分離され、王国の名は削除され、ヒンズー教が国教でなくなるまでに至ったのだ。
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