小さい頃、実家が飴屋を営んでいた時期があった。
その頃の遊び道具が飴の包み紙で、きれいな模様のパラフィンだったのが、懐かしい。
そして、枕元には何時も飴があった。親が寝かし付けるのに飴をくわえさせて大人しくさせていたのだという。それで、今もって歯が弱い。
そんなことで、この歳で飴を作るようになったのかもしれない………………
|
■「ユットク」からのきっかけ
それは、まほろばオリジナルサプリメント「ユットク」を製造していた時だった。
ウズベキスタン原産の「天然メシマコブ」や「冬虫夏草」などのチベットの薬草を混成して、さらに細胞壁破壊という最新技術を駆使して一応のものを造ってみたが、今ひとつ何かが足りない。そこで閃いたのが今をときめく糖鎖だった。最新の栄養成分・糖鎖は、現代のサプリメントとしては古典的薬草にブレンドするには最上のものだった。
|
糖鎖を構成する糖類の中で、現代人が最も必要とするものは、0-1テストすると、シアル酸(N―アセチル・ノイラミン酸)である。そして、それを最も多く含んでいるものは、穴ツバメの巣、燕窩であった。このようにして出来上がったのが「ユットク」である。
次に、燕窩入りの飴を作ってみようかと思い付いた。しかし、燕窩は高価なので、「そんな高い飴は売れない」と妻に反対され、あえなく頓挫してしまった。
しかし、既に材料を仕入れていたため、何時かは作りたいと目論んでいる。 |
|
そこで、基本の飴を作る段になって、選り抜きの蜂蜜はあるのだが、理想の水飴がない。 ここで、他の飴と同じブドウ糖や蔗糖を使っても意味がない。
却って糖分の取り過ぎで良くない。
ここは、果糖中心の「一二三糖」を使うしかなく、更に隠し味に塩味を効かした塩飴も悪くないと思った。
塩飴は今まで数種あったが、今一つ理想に叶うものではなかった。 というより、使う糖と塩の質が問題なのだ。
■糖類の違い
|
市販の飴、その糖分は、蔗糖(砂糖=ブドウ糖+果糖)やブドウ糖、水飴(ブドウ糖+ブドウ糖=麦芽糖)、蜂蜜(果糖+ブドウ糖)等から出来ている。
どちらにせよ、半分以上はブドウ糖である。 ブドウ糖を0-1テストすると、余り良い反応が出ない。
|
炭水化物も100%ブドウ糖であり、米を主食にする日本人は、とにかくブドウ糖過多の人が多いのだ。
ブドウ糖は、膵臓から分泌されるインシュリンというホルモンなくしては細胞の中に入ってエネルギー源になれない。
ブドウ糖の摂り過ぎは高血糖や糖尿病の引き金になるのだから、嗜好品としてまでブドウ糖を摂る要はないのだ。
しかし、菓子やケーキを食べるより、飴ははるかに健康的である。
というのも、饅頭やケーキ・クッキー類の主体は、砂糖というより、小麦粉に含まれる炭水化物(ブドウ糖+ブドウ糖・・・・……)が主体だからだ。
|
したがって、まほろばでは、飴の中でも、ブドウ糖や麦芽糖(水飴)の多く入った飴は扱わず、せめてブドウ糖と果糖の半々の蔗糖飴しか扱っていない。(多少ブレンドされたものもあるが、主体は蔗糖である。)
果糖は吸収されるのに、インシュリンを必要としない。 それに、果糖はどんな糖よりも化学活性が高く還元力が強い。(ちなみに、ブドウ糖の化学構造は六角形で、果糖は五角形)
|
そういうことからすれば、果糖が主体の「一二三糖」で飴を作るだけでも価値がある。おそらく世界初のことではなかろうか。
少なくとも国内でも聞かないと製造者はいう。
チョット糖分を摂ってホッと安らぎたい時、エネルギー切れで(血糖値が下がる)疲れた時、外出した時など清涼飲料水を摂るより、「一二三糖」で作った「八七六飴」を口に含み、ペットボトルに入れたエリクサー水を摂るか、ミネラル水を買って飲んだ方が、遥かに健康的で疲れが取れるというものだ。
スポーツ飲料にも早変わり。
今では、スポーツドリンクや高価なリンゲル液にも、果糖が使われるようになって来た。
糖尿病でインシュリンを使っている人も、急に血糖値が下がった時、ブドウ糖より「一二三糖」を摂る方が、はるかに有効である。これは、多くの方が試され、実証されている。
その「一二三糖」に、ミネラルたっぷりの「七五三塩」をちょっぴり入れれば、素晴らしい「健康飴」が出来るのではないか、と考えた。
まさに、エリクサー水の命が吹き零れた「ELIXIR CANDIES(エリクサー キャンディー)」、そして、いざと言う時の「RESCUE DROPS(レスキュー ドロップス)」。
まさに現代に現れた
「HEALTHY SWEETS
(ヘルシー スイーツ)」である。
(しかし、どんな良い物も、食べ過ぎにご注意! カロリーはブドウ糖も果糖も同じである)
|
|
■飴谷さんとのご縁
今回、ご縁があって、お願いすることとなった製造者、その名も飴谷佳一さん。何と、飴屋さんとも呼べる!
東北以北最大の飴屋さんで、小樽で明治時代から三代にもわたる老舗。
福井県で初代「飴屋六兵衛」氏から数えて七代目となる筋金入りの飴業家系である。
|
右が社長の飴谷社長、私と同じ昭和25年生まれ、左は工場長の
田原定雄さん、
この道40年のベ
テラン職人さん
|
|
最近、青果の組合から仕入れた「きな粉飴」が素朴で美味しいので、お客様に人気を博していた。
たまたまお客様の和菓子屋さんが紹介して下さったのが、何とその飴谷さんだった。
そして、夢薬局「エッセンチア」の篠原君のラグビー仲間の後輩が、その飴谷社長のご子息だったのである。この三つ巴が効を奏して、今日の御縁を結んだのである。ここに、何か不思議な天縁のようなものを感じた。
|
最初、0-1テストでレシピを決め、ソフテリアで色々試して、最後は「餅は餅屋、飴は飴屋」と文字通りプロにお任せすることになった。
飴作りでは、砂糖を溶かすのに水を使うが、そこは当然「エリクサー水」。
さらなるエネルギーが加わる。
何せ、砂糖で6種類、塩で 種類、計 種類もの様々な各要素、さらにエリクサー水を加えると、実に1000種類ものエッセンスがこの一粒の飴には詰まっている。
I
「八七六飴」は割れやすいので、フルイで受ける。 |
|
|
しかし、工場での難点は、「一二三糖」が焦げ易いことだった。
温度を低くして焦げないように薄い色に仕上げると、夏場は溶けて保たない。 10〜20度上げてやると茶色のカラメル色になり、鍋から煙が昇る一瞬、火から鍋を上げるのだ。しかも、一度に5kg以上は無理だという。
まさに家庭で炒るように手鍋で練るしかないのだ。
通常ここでの飴作りは、何百sもの大量生産のために真空釜とバーナー釜で溶かして、自動的に押し出すように造る。
「一二三糖」はそれが出来ない。 工賃も自ずから割高となる。他の作業工程に支障を来たすこともある。
それで、飴谷社長も、この仕事を引き受けることをためらわれた。
付きっ切りで、わずか5kgの飴を練る、それも一番のベテラン職人田原さんの手を煩わせるのだ。
この砂糖から造るのは、長年の経験と勘が要るからである。 厨房と同じように、一々火加減、手加減、出来加減を見ながら練る。
いわゆる「手練り」「手造り」なのだ。
何でもそうだが、やはり人の手を通さなければ、命のものは吹き込まれない。この不便さが、却って、イノチある飴を生み出すとも言えるかもしれない。
これは、価格には代えられないものなのだ。
■名前の由来
|
「一二三糖」と「七五三塩」と混ぜると、『八七六』の数の飴となった。
二つを横に並べて加えると「一+七=八、二+五=七、三+三=六」となる。
今度は斜めに見ると「三+五=八、二+五=七、一+五=六」ともなる、不思議な組み合わせになった。
さらに四(死)と九(苦)が無い妙も面白い。
(ちなみに四九(しく)=36、八九=72、
36+72=108の煩悩になる。 だから「菩提飴」とも言える) |
「ひふみ」と「なごみ」の同じ和語で、『いやしろ』と読ませた。
八は無限大の∞であり、七は幸運をもたらす光であり、六は六芒星で調和を意味する。
そして、人や動植物を活性化させるよい土地を意味する「イヤシロ地」。
そして人を癒す甘露の飴で「癒し露飴」ともなる。
真に縁起の良い内容と名前になった。
更に、数字遊びは、数量にも及んだ。分量も0-1テストで設計すると、結果的に「一二三糖」:「七五三塩」の対比が、数秘を循環する比率になっていた(企業秘密)。
この絶妙の組み合わせは、人知では割り出せない天与の標のように思えた。
何時までも、誰にでも愛されるオーソドックスで、飽きの来ない「不朽の銘菓」でありたいとの願いを込めて……。
|
|
親子三代にわたって飴を造られた飴谷社長にとっても、「果糖で作った飴は初めてだ」と、言われる。
その品の良い味の出来栄えに、大層満足してくださった。 素直で気品ある「八七六飴」、この一粒の甘露が、あなたとご家族のみなさまの心と体の幸せに成り代りますように……
「よろこびの家」のメンバー。みんな屈託がなく明るい。 |
|
■ある決意
ある朝のミーティングで、みんなの話を聞く。
その時、ちょうど給料後でもあって、脇坂君が顔をくしゃくしゃにしながら「親が、すごく喜んでくれた!」と嬉しそうに語ったのだった。それは、私にとって、ある新鮮なショックでもあり、今までにない嬉しさが込み上げて来た。そして、新しい決意が湧いてくるのを覚えた。
■ことの初め
実は、今年の春からまほろば本店のすぐ近くの授産施設「よろこびの家」に、まほろばだよりの印刷物の折込みや帳合を頼み始めた。
部数も増え、人手の足りないまほろばとしては、ことの外、助かった。
その後、袋のシール貼りや詰め物などなど、小忠実(こまめ)にその単純作業を丁寧にやってもらっている。こちらとしては有難いばかりか、授産所にとっても仕事となり、それが幾許かのお金になって回るのであれば、それだけ潤う。
双方助け合う立場としては、とても良い関係のように思われた。
そこは、知的障がい、精神障がいなどで社会となかなか溶け込めない人々が助け合って生きている。
■全国の実情
そこの施設長・植村雅樹さんから、日本全国のこういう施設の実情を聞かされて唖然とするものがあった。新福祉制度(自立支援法)になって、作業所へ通うために、1割負担が各々に課せられることになる。そこで、月収3万円を目標として頑張っている。
しかし、全国的に、現状は平均1万円の報酬も与えられてないばかりか、親御さんの持ち出しが多いと聞かされた。さぞや、親御さんの心労や経済的負担も多く、将来の心配を抱えて大変であろうと思いはかられた。
■各施設との交流
|
私としては、このような授産施設や福祉に関しては、全くの門外漢であり、口を挟める立場ではない。
長年の友達、新得「共働学舎」の宮嶋代表の苦労話は山ほど聴かされていた。それは、体を張っての命がけの仕事であることは、外からしても伺うことが出来る。 |
これまでも、授産施設からの生産物を仕入れることは、再々行なって来たし、今も行なっている。
赤井川の「はばたきの里」の卵、盤渓の「木の実寮」のとうきび、剣淵の「西原学園」の絵や器、「共働学舎」の野菜やチーズ、苗、ソフトクリームミックスなどが届いていた。
その尊い汗の対価を、無駄には出来ないものがあった。
|
|
■理想と経営
しかし、どの世界でもそうであるが、やはりこの社会、半分は物質的なもので構成されている。生きて行くためにはお金も必要だ。
まほろばが今日までやって来られたのも、儲けないまでも経営的に何とか回って来たからで、そこは経済的自立がない限り、運営は破綻する。
|
理想とマネージメントのうまい兼ね合いが必要になる。ことに、自然食となると、仕入れ値や売値が一般品より高いので、お客様に理解して頂くための努力が欠かせない。
安いから、売る・買うという関係では成り立たない。この手のお店が伸び悩むのは、やはり良くても高いという現実が、大きな壁となっている。ブームだと何時も言われる割には、拡がっていないのが現状だ。 |
理想とマネージメントのうまい兼ね合いが必要になる。
ことに、自然食となると、仕入れ値や売値が一般品より高いので、お客様に理解して頂くための努力が欠かせない。安いから、売る・買うという関係では成り立たない。この手のお店が伸び悩むのは、やはり良くても高いという現実が、大きな壁となっている。
ブームだと何時も言われる割には、拡がっていないのが現状だ。
■社会の窓
おそらく、こういう施設の大きな壁は、対外的に社会の窓が開かれていない現実にある。
施設の中で、生産物を作ってもなかなか売れないし、外に広がらない。
その接点をどうにかしなければならないのだろう。 |
今季、再発売する「こすぎるゾ!!人参くん」
のラベル貼りを和気藹々とこなす |
|
例えば、パンを作るとする。
最初は同情か何かで買ってもらっても、毎日のことである。 それが、家族の口に受け入れられなければ長くは続かない。
ある意味、社会は厳しい。
まほろば開店当初と移店時の二度、ある施設の陶器を売らせてもらったが、結局は売れなかった。
その時、同情と真情との現実の狭間を見た想いがした。
■企業との協力
そこには、企業的発想が必要ではなかろうかと感じた。
一般人が納得する商品をいかに自分達がサポートして作り上げていくか。
部分的でもいいから、その一助となって製品を作り上げて行く共同作業。 そこに、企業の理解と受け入れ体制が要るように思われた。
企業は、現代の厳しい経済状況の中でしのぎを削っている。いかに効率よく、経費をかけずに利益を生むかに、会社の姿勢が問われて来る。
戦後、経済復興一筋で邁進して来た日本は、見事荒野から立ち直れた。だが、年経ち、その精神的荒廃は取り返しのつかない所にまで来てしまった。
果たして、この経済効率が人を幸福にしたとは、誰もが納得出来ないであろう。しかし、一方、経済がなければ、一層厳しい今の世では生きて行けない。
この狭間の中で、どう折り合いをつけて行けば良いのだろう。
まほろばは、そこに安全で健康に役立ち、環境にやさしいということが付け加わって、更に厳しくなる。しかし、この厳しさこそが、次代の価値観であり、人々の共存の道でもあり、自然との共生の道でもあると信じて、取り組んで来た。
■笑顔の毎日
|
こういう理屈は後からでよい。
社会の窓が開かれているまほろばで、少しづつそのお手伝いをしてもらう。お給料は少ないかもしれないが、とにかく一緒に働こう。汗を流そう。
と思って彼らを快く受け入れ始めた。
|
先ず、まほろばは、春から秋にかけての農産物の袋詰めを依頼した。
二・三人でその仕事をこなして行く。 日々、彼らの顔が明るくニコニコ顔になってゆくのが、手に取るように分かった。何とも嬉しそうな顔をする。こちらも嬉しい。
施設に帰ると、「楽しい!」と言っているらしい。これは、こちらも心豊かになる。
それに対する報酬も、目に見えて受けられることが、また彼らにとって喜びを倍増するらしい。給料袋を開けて、何時までもその微笑が消えないという。
今までになかった変化だそうである。
■ソフテリアに
ソフテリアにも二人入ってもらった。
地下鉄・バスを乗り継いで遠くから通う子もいる。最初面接した時は、暗い表情で、大丈夫かな、と不安であった。
しかし、日に日にその表情に赤みが射して来た。 周りのスタッフが実に優しい、そのせいが大きいと思う。
何時も活き活きとニコニコ顔で接するようになって来た。 本人に聞くと「嬉しい、楽しい!」という。
朝早いパン作りにも、へこたれずに誰よりも早く出勤する。満面の笑みを浮かべて喜びを隠せない。今までの職場では、歯車のように働き、機械のように扱われ、とても辛かったという。
|
|
余程、ここの居心地が良いのだろう。
持ち場持ち場で、その仕事振りが認められ、励まされて成長して行く。
嬉しいことだ。
しかも、大事なことは、仕上がったパンの品質が、その子の手によっても落ちないことだ。ここがポイントだ。
そこが、長くお客様に支持される所以でもある。
しっかりした指導者の下で、導かれながら作業をこなす。それは一部でも良い、完全になされた仕事が全体の完成品へと繋がる。ここが、共有する喜びでもある。彼女たちの喜びの声を聞くと正直嬉しい。
何とか、まほろばとしても、経営が許せる限り、共に働く場を提供したい。
■掃除に、仕入れに、農園に
彼らに毎日来てもらって、床がピッカピッカに輝いて来た。 |
|
毎朝、開店前に店の掃除に二人ほど来てくれている。
コツコツと真面目に、ひたむきに、モップや箒を動かす。 顔も真剣だ。 彼らのお蔭で、清々しい気持ちの良い店内になり、今までのまほろばのイメージ返上である。
朝一番、市場仕入れに、元水産関係者が助っ人に来てくれている。内外の魚類事情に詳しい彼は、頭が切れ、機転が利いて、海産物の取り組みへの大きな夢が膨らむ。 |
一方、農場でも活躍している人がいる。本当に真面目で懸命に陰日なたなく働いてくれる。もっともっと働かせて欲しいという。
来年の作業を心待ちにしてくれている。
こういう仲間が少しでも多く雇える規模と実力を備えたいものだ。
そのためにも、我々も、もっともっと働かねばならない。 |
大好きな農作業。働きたくて、働きたくてしようがない。 |
|
■まほろばの夢
まほろばには夢がある。
彼らと共に、福祉施設で一緒に働くことだ。
出来れば、小別沢に味噌や醤油やチーズやワインの工房を建て、一帯を醸造の里として、老人や障がいの人々が働く農場や施設を設けること。
|
この春、退社した染谷衣重さんが今介護の勉強をしている。
「資格を取ったら、介護施設の院長に迎えるからね!待っててね」と、半ば冗談とも本気ともつかぬことを話したら、染ちゃんも、「ニコッ」と嬉しそうに笑った。
これはOK!なのかもしれない。 染ちゃんとは、まほろばも離れがたいご縁なのだろう。きっと、本当にそうなれば、とても嬉しいことだ。
しかし、介護施設と言っても、まほろばのは生涯現役の施設である。自然の中で、自然の物を食べ、自分が出来る限りのことを、最後までやり遂げる。
そんな自立自営の開放された環境施設である。 その実現のために、精一杯がんばろうと思う。
彼らの邪心のない底抜けの表情を
見たいために…… |
|