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まほろばだより−折々の書−
 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ウオー、オーオーーオ……」
轟く地響きのような声明。
天外の天からか、地涯の地からか。
その重層のハーモニーは腹の底の底に鳴り響いた。
ここは、まほろばの地下洞「無限心庵」。

夢に見た光景が今、眼前に在る。
あのハートの石の周りをラマ僧が取り囲み、法要を執り行う。
狭い洞窟、体を寄り添うようにさらに取り囲む縁者。
空気が濃い上に、さらに濃い。
僧の全身から発する倍音の地声が、
石に座す踵から脳天へと突き抜ける。
経文のバイブレーションが、自己の無字の心中で共振する。
そこでは、「世界平和の祈り」が響いた。


 

 

 

エリクサーとハートの天板を6人の僧侶が取り囲む。ハートのシンクには蓮華の蝋燭が仄かに辺りを照らす。頭上に垂れているは、チベットのハーキマーダイヤ。

 札幌で初めてのラマ僧による「砂曼荼羅」の儀式が八月四日に行なわれるという連絡が入った。
それはチベットレストラン「ヒマラヤ倶楽部」のンガワン・ジャンパルさんの奥さん松本律子さんからであった。もう十年も前になるであろうか。松本さんに再びと出会ったのは。

実は彼女、私の郷里・恵庭での幼馴染だったのだ。友に連れられてカレーを食べに店に入った時は、本当にびっくりして、まさか札幌で、しかもチベット人の連れ添いとここで再会するとは。

 

 

 

地下洞にて、ンガワン・ジャンパルさん、僧と共に。人懐こくて心優しい、まるで古代の日本人を見るよう。

 もう五十年も前の恵庭の漁町という辺鄙な市井でお互い生まれ育った。
かつて鮭が上がったという漁川の漁橋のそばで、隣近所の子供達が、それこそ団塊の世代が団子のようにふっつきながら育ったものだ。
夜捜索がでるくらい遊び呆けたり、部落ごと二手に分かれて石の投げ合いで喧嘩したり、とにかく皆子供たちは屈託なく遊んだ。

川のせせらぎで泳いだり魚を獲ったり、原っぱで虫を追っかけたり、思い出すのは遊びだけで、みんな元気な悪がき同士だった。
 その中に、田舎そばの名店「思君楼」の今井兄弟も居た。

 

 

 

 とりわけその中で、松本さん兄弟は力強いというか、野生の凄みをもったパワーがあって、誰をも圧倒するものを持っていた。 全然女の子という感じではなかった。
今でこそ振り返れば、遊牧民の娘さんといった雰囲気があった。
しかし、その記憶が全く消えて遠くにあった。

今、再会した彼女は、それはあの地の底から湧くような野性味でジャンパルさんと北インドで出会い、結婚し、北海道に戻り、カレー店を営んでいる。  

 1950年に始まった中国によるチベット侵攻。幼い11歳のジャンパルさんは、1959年、懐かしいチベットを後に、あのダライ・ラマ法王とヒマラヤ越えをして、北インドのダラム・サラに辿り着いたのだ13万人以上の難民がその後を追った。

 
チベット寺院で五体投地する老女
 

 

 

「ヒマラヤを越える子供たち」DVD¥1500  チベットサポートグループ
 その亡命のすさまじさは「ヒマラヤを越えるこどもたち」の記録映画を見れば、当時の受難の様子が彷彿として伝わって来る。
着の身着のまま、徒歩で祖国を逃げ出し、充分な防寒具さえなく、あの標高六千メートルの尾根を縦走する。
その中には、当然手足が凍傷にかかり、暖かい北インドでは腐るため、切断せざるを得ない子が出る。その手足のない子供たちが無数にいるのだ。
それでも、余りもの貧しさと圧政から学問を子に付けさせたくて、チベットの親は、危険を承知で自ら死を省みず、亡命させるのだ。
それが数百人と、毎年あとを絶たない。
 

 

 


 生活や宗教の伝統文化を抹殺され、未来に行き場のない彼らが一縷の望みを抱いて故国を捨てる。
 しかし、親が居る望郷の想いは、いかばかりであろうか。
親は国からどんな仕打ちを受けているかわからない。
 

 

 

大宇宙の原理構造なる金剛界・胎蔵界を象る。天然の鉱物を粉にして四日かけて描き出す、その集中力。終われば、一瞬にして掻き消して、川に流したり、縁者に分け与える。その行為は世の無常を悟らす。会場のマリア手芸店の社長は、私の高校の同級生。これも奇縁だ。

 
 

 

 

前夜祭のセレモニー、四日間にもわたる「砂曼荼羅」の儀式を滞りなく終えた。
そこで、松本さんに、幼馴染のよしみで、まほろばで法要が出来ないかどうか訊ねてみた。
何と、僧が韓国に出立する前夜なら空いているということで了承を得たのだ 。
 
 

 

 


天上から地下に一直線で通じる無限心のセンターポイント。その一点からエリクサー水に無限の生命力が与えられる。

当日になって、エリクサー給水場のシンクと天板を儀式の台に使って、「水の祈り」の法要をお願いした。
水は龍であり、龍神の徳を讃える読経があるという。
開演一時間前になって、龍水の聯額を書くこと、さらにシンクに水を張って蓮型の蝋燭を浮かべるアイデアを思い付いた。
地下には、かつて青海省(チベット)の西寧、塔爾寺で求めた四百年前のタンカを飾って、俄か作りの舞台をしつらえた。  
 

 

 

約400年前のタンカが「無限心庵」に眠る。只今公開中。
 
 

 

 


 開演の七時半には、呼び掛けた方々は揃って、ギュト寺院の六名の僧侶をお迎えした。
無限心の原理が、まほろばの店舗の基本構造となって、天外の彼方に慈悲心が届くように設計されていることを僧に説明させて頂いた。

照明をおとしたそこは、何とも言われぬ荘厳な法場と化し、龍神を迎えるに相応しい霊気が満ち溢れていた。声明の声々は虚空に舞い、無限心の天井の穴を抜けて浄土に至り、天女が散華した花弁がハラハラと舞い落ちるかのようであった。

 
 

 

 

その声は、真言の天台声明や薬師寺の南都声明でもない、もっと源流を遡る発声であった。
しかも日本には伝わってはいない。
あの重低音の発声法は、気孔の構造をどうやって応用するのであろうか。
それが各声部とハモりながら倍音を形成して行く。  


本店のエリクサー浄水器前にて
 

 

 


植物油脂のないチベットでは、ヤクやヤギなどの動物乳をバター状にしてロウソクを作って仏に献ずる。

まほろばの浄水器に水を張って浮かべたハスの花のろうそくの明かりが幻想的な雰囲気に。

 昔二十代で読んだ「死者の書」や「ミネルパ」の本、フランス・オコラのレーベルで出ていた「チベタン・チャント」でしかチベットの情報を伝えるものがなかった。
その夢想していた光景が、日本のここに今再現されている事が夢なのだ。 紛れもない、振って沸いた仏のプレゼントだと信じて疑わない。
照明をおとしたエリクサーの蓮台を囲む六人のラマ僧。
初めて聴くチベット声明に、皆の表情は何時になく緊張が走っていた。
静かに朗誦する経文の声は、無限心の中心のエリクサーが、天井の金の鎖に繋がれたチベット産のハーキマーダイヤと共振して、天上の天に抜けて行くようだった。
 

 

 

 そして、さらに蓮池を象ったエリクサーのシンクに仄かに蓮の灯明が揺らめきながら動く。 幻想的でさえある。
ジャンパルさんが私に耳打ちする。
「あの蓮華が幾何学的に縦・横・円を描きながら動いているよ。」
それは、声の波動が一定の美しい文様を描いていった。
砂が微振動で規則的な文様を再現するように。

 さらに故郷の母なる霊山ヒマラヤの岩塩ランプが、神秘の光を僧に照射して一層荘厳さを演出した。
それは、バター蝋の光で籠もる薄暗いラマ寺院での讀経を彷彿とさせた。
「龍水の祈り」は、龍が天と地を上り下りして舞うように、荘厳華麗を極めた。
・・・・エリクサーの水が多くの人々を潤し、母水の懐に抱かれて、久遠の命を戴けますことを・・・・・。


 
 

 

 



 
 

 

 

引き続き、地下洞の「無限心庵」での法要に移る。
ハート型の石を中心に僧は車座になって取り巻いた。
天井の低い、洞の狭い中、僧の周りを取り囲むように、呼びかけた三十余名が互いの体と膝をつけながら端座した。
地の底、天の涯を突き破るが如き重低音のバイブレーションは、みなの足と言わず脳といわず出入して大円環の法輪を転じたのだ。
この光景は体験したものでないと顕わすことが出来ないほどの感動だった。
僧侶は、「ここは、我々の瞑想堂と同じだ」と語った所のこの庵は、禅定に入り易く、声が響き易く、皆が一体になれる、あたかも母の胎内のようであった。
 
素朴とは、天にも透るような純一な強靭さを兼ね備えていることを、この子らの目を観て思う。
 

 

 

この地を授けて頂いた因縁を思う時、「ここより世界に通じる道が出来る」といわれた孔氏の遺言の凄みを今更ながら感じたのだ。
そして、各自の大切な持ち物にマントラを入れて頂いた。
延々と続く讀経は経を見ずに諳んじて、我が物として魂の内側から発せられていた。

 最後にこの功行のお礼に、「チベットの分断された皆々様が、再びと帰して懐かしの故国に戻れますように、皆でお祈りさせて頂きます。」と告げて、私たちは一心に黙祷した。
それしか、お返しする術がなかった。



故郷の風よ、
再びとあなたの髪になびいて。

故郷の山々よ、
再びとあなたの眼に映りて。

故郷の草原よ、
再びとあなたの子を抱いてください。


力によって、家族を離してはいけない。
国によって、国を裁いてはならない。


祖国の川は、生まれし民に。
祖国の空は、蒼き空のままで。  

          

静かに終わりを告げる声明は、悲しみの階調を伴って、
あのチベットの山々に帰って行った。

そして、音もなく虚空の彼方に消えた。


 
 

 

 


故国チベットの山と川と村々。



 

 

2006年9月1日記

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