最近、相次いでカメラの老舗メーカーが、フィルムカメラからの撤退を発表した。デジタルの趨勢で経済効率が著しく悪化したためだ。写真に関しては、私は全くの素人で、その真意が掴めなかった。カラー全盛の今の時代、むしろ白黒のモノトーンに精神性というか、郷愁というか、ある種のノスタルジーを感じてはいた。
写真家・藤原新也氏によると、今、デジタルカメラよりもむしろフィルムの方が、基本性能のダイナミックレンジ(白から黒に至るまでの階調表現)が狭くなり、低下しているという。
都市化が、人工物によって環境を変化させ、自然の色とは似ても似つかない人工色を「きれい」と感じるようになり、脳内で記憶色として刷り込まれてしまった。それは、テレビ、ゲーム、パソコンなどエスカレートして、彩度とコントラスト比が刺激的に著しく高くなってしまった処に大きな原因があるという。ユーザー自体がデジタル化して来たらしいのだ。
社会全体に及ぶデジタル化の裏では、どんどん生理の崩壊が行なわれているということであれば、文明とは自然との乖離でしかないかもしれない。
かつて古都奈良をくまなく映された写真家・故入江泰吉氏の深々とした大和路や仏像の一枚は青年の心に郷愁を掻き立たせた。フィルムも技術も今日の水準には到底及ばないのだろうが、しかし決定的に何かが違っていた。今、大切な何ものかが欠落したのではなかろうか。
私が二十歳の頃、坂本繁二郎という画家がいた。禅僧のような静かな佇まい、寡黙な語らい。そこから表出される筆づかいは幽玄な色調と温かい慈愛の眼差しだった。ことに馬の親子に漂う情愛は、画は癒しというにふさわしいものだった。しかし、その慎ましい画風が現代では省みられないのは、デジタルな眼には色褪せて見えるためだろうか、それとも審美眼が物質と共に喪失されたためかもしれない。
CDは耳に聞こえない不可聴音としての高周波と低周波をカットしている事。そして、古い録音は一本のマイクで原版に音を刻み、今は多重録音でミキシングルームの中で再び人の手でバランスを調整して音楽を作り直している違いだ。
再生音が、迫力があり臨場感があり生っぽく聴こえても、そこに感動がなくなるのは異相が生まれて生理的にずれる事、人の手で周波数をカットし、音を作り直すことで、本当の生から遠ざかる点だ。
自然音は高周波・低周波の塊で、実は不可聴音は体全体で感じ取って感応している。この全体があって癒される。いわば、今の音は耳だけの回路で成り立っているとも言える。 バリのガムラン音楽の素晴らしさは、島の自然音を楽器に再現したとも言えるほど高周波音で満たされているからだ。最近、モーツアルトが異常にもてはやされているのは、この高周波や倍音が多いためらしい。
それと、古色蒼然としたSP録音などが、未だに愛好されるのは音の全体観があったためと思う。
それとやはり、演奏家も録音家も音楽への愛情の深さ、解釈の深さが違っていた。フルトベングラーを超える指揮者も、カザルスを超えるチェリストも今もって出てはいない。
整体の故野口晴哉先生は、膨大なSP・LPの収集家でもあったが、結局は竹針のSPしか聴かれなかった。正常で柔軟な体にとって、それが最も感応し癒されたのだった。
そして、カザルスをこよなく愛された。彼を心の師、治療の師とされた。
LPでさえ嫌われて、エジソンが発明した手回しのぜんまい蓄音機が、結局至高の音を出すと語っておられた。音の世界でも、全体ということが如何に大切かを物語っている。
年末・正月ともなれば、まほろばの店内では、民謡や雅楽など日本音楽が鳴っている。その中で、「江差追分」をどれだけかけたことだろう。不世出の初代浜田喜一や錚々たる民謡歌手が顔を並べているのだが、どういう訳か、一人この人の唄が心に残った。
青坂満さんという。民謡に不案内の私は、愛好家にとっては失笑ものであるに違いない。この人の唄には、匂いがあるなあ、と強い印象であった。それは、何処から来るのか。詞の隅々に聴こえる浜ことば。かもめが飛び啼き、風が舞い散り、波が寄せては返す。潮の匂い、漁師の怒号、女子供のサザメキ、そんな風景が見えるのだ。まさに、労働歌である。生活の歌が心に訴えかけるように感じた。 実際、青坂さんは生粋の漁師であった。荒海を漕ぎ、にしんを追っかけ、網に難渋して、一生の全てを漁に賭けた。その悲喜交々の生活の汗と涙から滲み出た追分。自然に倣って磨かれた歌声。何か唄の起源というか、発祥のような音魂をみる思いだ。
奈良時代の仏教の声明や、能や文楽などのいわば庶民側でない上級の楽曲からの影響も少なからず大きい。尺八学の一音を揺らすユリなども追分に共通する奏法だ。演歌のこぶしもその影響下にある。追分は一地方の民謡というより、日本古来の楽曲の、民間における集大成のような風格を持つのだ。 苛酷な単純作業や重労働の辛さを、一時でも紛らわすために生まれた民謡は、自分や同じ仲間への慰めでもあり励ましでもあった。それゆえにその真実が何百年の時を経て歌い継がれて来たのだろう。それを遠く歌い繋ぐためには、技術というより、現代生活に失われつつある労働の辛さや喜びといった体感がより一層、唄を真実に感動するものに昇華させるのであろう。
そういう私も、最近頓にデスクワークが多くなり、体力が落ちて来た。厳しい肉体労働と太陽が足りないようだ。今年は、少しでも暇を見つけて、まほろば農園に通わなくては!
2006年4月7日記
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