ある日、浄活水器「エリクサー」から、まほろばの地下洞「無限心庵」に至る一連の流れの中で、水の意味する事を思惟していた時だ。
何故か、火の事が思い浮かんだ。
それは他でもない、パンを焼くという窯の卑近な現実を如何にするかということから始まったのだが。
その想いを火に馳せていたら、水火交わるという重要な宇宙原理の意味合いが浮かび上がった。
その時、毎週のように地下洞にいらっしゃる小玉貴代美女史が、下から上がって来られ「社長、火のお祭りをしなければいけません。
それもアイヌの儀式で」と、唐突に言い出されたのには、ビックリした。
以前から、エリクサー・トライアングルの中心点に在るハート石は、かつてアイヌの方々の祭祀場ではなかったか、と一人考えていた。
余りにも出来過ぎている山頂や神社を含んだ三角構造には偶然でない跡を感じていたからである。
もしそうであるならば、何時かその手に一度返して収めたい、そして、それはアイヌの人による儀式が最も相応しいのではなかろうか、と考えていたのだ。
それがその時、偶然にもスパークするように一致したのだ。
まほろばは、特定の宗教や神仏を祭っている訳ではない。
しかし、ここに至るまでのストーリーはこれまで書いて来た冊子に譲るが、それは余りにも人間業を離れた不思議の連続であった。
チベット仏教のラマ僧の祈りや、カトリック教徒の祈り、神道の雅楽や奉納などの他、余り宗旨宗派に関わりない無神論者でも何人でも、大勢の人々が無限心庵を訪れた。
それは宗教や国家を越えた世界平和への人類共通の願いや祈りが、誰とでも一致するためであろうか。
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