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まほろばだより−折々の書−
 

 

 

 の部屋の背板に「翁」の能面が懸けてある。

 能面の多くが、幽境に彷徨う悲憂怨嗟の面を顕わす。しかし、祝いの席に舞う寿福のこの面相は別格である。
この世とあの世を自在に通い、極楽浄土の因縁を来客に振舞うようで有難く感ずる。  

「翁」能役者はそのまま神となる。天下泰平、五穀豊穣を齎す天の使いとされる。応注文。
 室町時代の古面の笑いの底にある諦観・悟境の深さに惚れ込み、この古風に似せて、しかもまほろばの無限心の未来観もイメージしながら現代に融合し復興させて欲しい、という小賢しい注文を付けた。
      
 その問いに、見事に応えて彫り抜いたその腕は、現代の名工と言われるに相応しい。
その人こそ、名寄在住の松本冬水さんで、今春、道新の日曜版に記事が大きく二面にわたって掲載された。身近な人でありながら、遠い人という印象を受ける冬水さんとの出会いはかれこれ、十年以上前にもなるだろうか。
 もし前世というものがあるならば、能面作りを生業とする彼ほど、それを感じさせる人は、かつていなかったのではなかろうか。  

  紙面で彼自身も語っていたが、能面を初めて打った時、「捕り憑かれるような感覚があって、『俺は、面打ち(能面師)の生まれ変わりなのか』とさえ思った」と、面に魂がのめり込んだという。  
趣味や道楽で彫ると言った軽い動機でない。 鬼気迫る如く全霊で打ち込んでいった。 それは前世遣り残した仕事を思い出したかのような集中力であった。

 室町か鎌倉時代に能面師として幾度か修行を重ね、突如、現代に生を受けて、その業を続けているという面影が、浮世離れした彼のここ彼処に感じられた。
余技に虚鐸を製管するほど優れた眼と耳を持たれる。

面を打ち始めると日夜没頭して、
体の事を忘れるほど、
面そのものと一体になる。

 誰にも習わず、誰にも就かず、独学であれほどまでの境地には至れまい、と思うからである。  
 高名な面打ち師より「広く面打ちは居れど、本物は少なし。 精進あらんこと」と見込まれて励まされたのだ。 名寄の田舎は見渡す限り田畑のみで、能舞台がある訳でなし、謡や仕舞の教室さえ札幌でも覚束ないのだ。  
本のみの独習で、これほど深読みが出来るものか。

 生来、美術志向の彼は、絵や彫刻を経て来たが、ついに能面に出会い、終生の道と定める。金銭で左右されること無く、如何に困窮するもこれ一道以外は、脇目も振らない。
幽界(霊界)とこの顕界・現世を繋ぐ楽劇の能こそ、彼の本質を炙り出すものだった。 ここで、まさに一代一世にては成らぬ魂の流転というか、漂白の旅を思うのだ。  

 虚無僧の普化尺八「虚鐸」を製管すること、いとも易々と習得して、それは一流の名管を作られる。 吹奏もまた巧みにして、みなこれも独学独習して身に付けられた。 これは器用では成らぬ。

 魂で習得した技を磨き続けるために、来世もまた同じ歩を進まれるのであろうかとさえ思う。 余程、思い遺した志を遂げるために、今の今を生きているかのようだ。

「秘すれば花なり。 秘せずば花なるべからず」 と幽玄の花を能に描写し、『風姿花伝』や数多の能作品を著した能の大成者・世阿弥。

「命には終りあり。能には果てあるべからず」 と説いて、流島先の佐渡にあって齢八十の中で、都の舞台で演じられるか否かも分からぬ能本の創作に胸中はなおも溢れていた。
 
  その流魂は六百年の時空を越えて、西洋文明の横溢する現代になおも生き続けている。

世阿弥が隆盛であった「男時(おどき)」は意外と短く、低迷不運の「女時(めどき)」が長く続き、晩年島流しに遭うなど辛酸を舐めた。
芭蕉は、齢五十一にして亡くなる。昔人は老成し大成するに早熟であった。世の中全体が成熟した大人文化であった。
 

 芭蕉翁の病中吟、 「旅に病で 夢は枯野をかけ廻る」  最期の床に在っても、俳句への執念はかくも凄まじいものか。  

自己の今を思えば、前世の己を偲ばれるのであろう。 集積した自己の一切が、今生に顕われて隠れるところが無い。

過去も今も、変わらない自己がここにある。


 野之宣さんという漫画家が描いた「妖女伝説」という時代劇画がある。

その中の『砂漠の女王』に描かれるクレオパトラの転生の話であるが、その業の持つある種、不変性というものを考えさせられた。

 西暦紀元前30年、エジプトの女王クレオパトラ7世は、ローマ軍の前にエジプト王朝崩落と見るや、自分の恋人アントニウスを惨殺し、軍総司令官オクタビアヌスに首を差し出した。

自らは生き残ろうと画策したがユダヤ王ヘロデに密告され、それが果たせないと知り、若い体に生まれ変わってローマ帝国への復讐を遂げようとする願いを立て、神殿の地下において、王家ミイラ術の秘術、不死を成す「霊魂転生の秘法」を大神官ソロンから施され、コブラの毒を呷って死んだ。

 20有余年後、紀元前7年、ユダヤのベツレヘムで救世主になるべきイエスが生まれた頃、ヘロデ王の孫娘として、彼女はサロメとなり蘇る。

預言者ヨハネに讒言をしてイエスとの仲を割き、恋人ティゲリヌスをして斬首させ、アンティパス王の前に差し出す。
だが、皮肉にもキリスト教に改宗したティゲリヌスによって刺されるが、再びソロンの術で次の転生を辿るのだ。  

次は、ナザレのイエスが処刑されて約240年後、中国は三国時代、大ローマ帝国とササン朝ペルシアにはさまれたパルミラ国にて女王・ゼノビアとして転生した。
男勝りの軍指揮官として再びローマ帝国に牙を向けたのだ。

    左:サロメ           中:クレオパトラ      右:ゼノビア
                      (星野之宣画)
ギュスターヴ・モロー画
「出現」
:サロメ
     古代彫塑:
     クレオパトラ
 
ジャンバッティスタ・ティエポロ画:「パルミラの女王ゼノビア」

 西暦269年,かつてクレオパトラとして死を選んだ土地エジプト王家の都アレキサンドリアを占領,更にパレスチナ・シリア・アラビアなど制圧して世界史上、女王が統治した最大の領土を有した。
しかし、西暦272年、ローマの喉元に刃を突きつけた女帝ゼノビアだが,新皇帝アウレリアヌスの巧妙な戦略と,おりからの地震のため大敗北を喫し、エジプトは再びとローマの手に戻ったのだ。


そして、最後に神官ソロンが、自分の身を明かす。
それはエジプト古代王朝の女王、ハトシェプスト、ネフェルティティ、ビルキス(シバの女王)であり、そこには秘術など元よりなく、それは転生と引き換えの永遠を受け継ぐ女の呪いがそうさせたと言って終わる。

そして、それはソロンとゼノビアの連なった魂でもあった。

ハトシュプスト 神官ソロン
ネフェルティティ
ビルキス
 フィクションとノンフィクションの織り交ざった歴史ドラマとはいえ、妖女としての同じ業の継続と無明の底深さを思うのだ。

この泥沼のような無明の闇が、今世界で繰り広げられているイスラム・キリストの宗教確執や世界対立の果てしない抗争を造り出して、その救い難きを思い知るのだ。  
∞・・・クレオパトラ・・・サロメ ・・・ゼノビア・・・∞

 人は、その日が明けたからと言え、一日の生活パターンが、昨日と著しく変るものではない。その志向性や行動範囲は、たとえ転生して、環境が変り、境遇が異なるも、そう変化出来ない。
それが、この劇画を見ても、想像するに余りあった。

「悪業は悪果を生み、善業は善果を生む。 今日の善き行いが、明日の善き結果を生む」  
聞き古された格言だが、誰もが改めて重みの持つ言葉だと解る。  
今の一生が、来生に連なるとすれば、大事に生きねばならない。  

種子取りして毎年作物が引き継がれるように、業の連続性は、新たな生を生み出して止まない。 今を精一杯生きたいものだ。

 れにしても、漫画家・星野氏のストーリー、筆致における抜群な力量に、脱帽する他ない。  
 
現在、漫画雑誌に「宗像教授異考録」など、従来の古代史に極めて自在で創造的な解釈を加えて描く面白さに、何時も感心させられる。

子供などは、何度も何度も今もなお夢中で読み続けている。  
メタリックなSF宇宙物を描いても天下一品で、その筋にも画にも顕れる描写のリアリズムは、作者の心の目に焼き付けた宇宙と人生の実在感だろう。  
ちょっとした心の動きを、微妙な表情で表す見事さは、神業のようである。


民族学・古代史をテーマとした
宗像教授シリーズは「伝奇考38話」
「異考録19話 続刊中」と更に続き、
「ビック・コミック」に只今連載中。
 
 女性を、微かな心理や表情のゆらぎで画き分ける。 男女の剛柔、風景の疎密、動静の自在、物語の起結、虚実の融合、時空の往来……  何をとっても見応え、読み応え、勧め応えのあるものばかりで、より広くの方々に、さらに外国にも広まらないものかと期待するばかりだ。

「ヤマタイカ」という怪奇ロマンの日本史の劇画に出合った時、是非会ってみたいと一度念じたことがあった。  

それは、十年以上も前のことであろうか。
しかし、そのことは、すでに忘れていた。



上:「MIDWAY」宇宙編自選短編集
下:「ヤマタイカ」全6巻。火の民族 ・
縄文人と
日の民族・ 弥生人の対立を
描いた
民俗 学的考察と 超能力などの
SF性も絡み、古代と未来を行き 交う
壮大な ストーリーに興味が尽きない。

 ある日、事務所の壁に貼られてある浄水器「エリクサー」の注文書に、「星野之宣」と名前が書かれていた。
「同じ名前はそう無いだろうな、でもまさか」と思いつつも、担当者に電話で尋ねるように頼んた。
あにはからんや、果たして星野さんその人であったのだ。

 札幌在住で、しかも近所で、店のお客様でもあった。  
それには、本当に心底驚くと共に狂喜した。  

まさか、日本を代表する彼が、近くに居られるとは。 それから交友が始まったことは言うまでも無い。  

それは、大げさかもしれないが、 本当に信じられない奇跡的なことだったのだ。
この冬、星野ご夫妻と、地下洞「無限心庵」にて。
愛読者で大ファンである共働学舎の宮嶋望さんも一緒に


 国の古琴のことは、今まで何度か書いたことがあった。
これは私事に関わることであり、あえて披瀝するものではないと書くのをためらった。  しかし、そこに不思議な縁生の出会いがあり、少し専門的になるが書かざるを得ないものを感じたのだ。  

 私が二十歳の頃、孔子が作曲したと伝えられている古琴の曲「幽蘭」が弾きたくて、東京で中国の張世彬先生の所に毎日通い詰めで習っていた。わずか二年余りだったが、その難曲が弾きこなせるようになった。

しかし、先生の帰国と共に、また私も別な道を歩むことになり、自然に琴は 遠退いてしまった。
「折々の書」『伝承の灯』参照

孔子と「四配」「十二哲」の弟子達と。孔子の前に琴がある。

 それから三十五年後、ある日HPで古琴のことを読んでいると、何と「幽蘭」のことが書かれてあり、日本の若い女性が独りこれを研究していることを知った。
長いこと眠っていた私の心の中が、懐かしさに揺り動かされ味を再び持ったことは言うまでも無い。  
何気なく、会ってみたいものだ、と思った。
しかし、それ以来、それは全く忘れていたことだった。


琴瑟相和す山寺三知・美紀子ご夫妻。
 ところが、今年の春になって、夢薬局「エッセンチア」の篠原先生から電話があった。
 「宮下さんに会いたい人が来ている。何でも古琴の研究をしている山寺さんという女性です」 とのことであった。
会話の中で私のことが話題になり、琴の事と結びついたのだと思う。

詳しく聞くと、「幽蘭」を研究している、あの女性であったのだ。何ということだ!! 
日本中、自ら捜さずとも、この同じ札幌に住んでいたとは。  
その偶然ともいえる出会いに驚いたとしか言いようがなかった。

しばらくして、来店されて話しに言わずもがな、花が咲いたのだ。  
山寺さんご夫婦とも、中国に留学されて琴を学ばれたという。

今はお二人して大学で中国語の先生をなさっている。
仲睦まじく弾琴されるご夫妻。背面の本棚は、ほとんどが琴関係の蔵書である。

ことに奥様は、上海の音楽院で「三分損益法」(ピタゴラス音律と基本的に同じ純正律となる)の伝統楽典を学ばれていたので、中国音律については大変造詣が深かった。

「幽蘭」の原譜は、中国に存在せず、何と日本に伝わり国宝となって国立博物館に収蔵されている。

しかし、それがどのような諧調やテンポで弾ずるのか、一音一音の長短も不明な文字譜であった。
それを再現するのを「打譜」といって、今日まで幾多の名人が解釈をして来た。
国宝「碣石調『幽蘭』第五」 国立博物館所蔵
張世彬先生の早逝を惜しむ。山寺さんによって張先生の功績が世に出でん事を。

 ところが、私の師であった張先生は香港に帰り、最も原典に学術的に忠実で、歴史的推考を重ねた研究を論文にまとめたが、間も無く早逝されたのだった。

 そこで、山寺美紀子さんは、香港の大学図書館で誰も注目されず埋もれていたその論文を入手され、これを繙きながら原曲の真相を復元しようと志を立てられたのであった。

その一端が、日本での琴の先人、儒学者・荻生徂徠の論文などで、今その新解釈を打ち立てようとされていたのだ。

これには、私は非常なる驚きと感銘を受けたのだった。 何せ青春時代に、半ば命をかけた曲だったからだ。

 その志を継いで、更に広い学識と深い洞察力をもって、これに果敢に挑戦しようとする姿に心打たれたのだった。

 そして、山寺さんとしても、生前お会いできなかった張先生の弟子としての私、しかも「幽蘭」を唯一伝授された弟子としての出会いで、双方感激するものであった。
当時の伝習された時のノートが残ってあり、しかも先生の直筆で書かれてあり、それが生きた証言として、彼女の研究を一歩進めるものとなれば幸いである。
おそらく、世界でもこの研究をされている数少ない研究者として彼女は貴重な存在と言える。そういう意味では、古典音楽史上、新たな足跡を残すであろうと期待される。
是非、結実させて戴きたいと願っている。
中国音楽論集の中にお二人の論文が掲載。 「琴の古書譜「減字譜」を読む 山寺三知」 「琴の最古の楽譜『碣石調幽蘭第五』をめぐる解読と復元 山寺美紀子」
 そして、初めて復元された最初の一段の試奏を聴かせて頂いたが、その古拙で典雅な響きが、深く心に染みた。

私が習った管平湖先生以上の打譜のものは、今後出ないであろうと思われていたが、これは、それを越えるものになるのではなかろうか、と予感させるほどのものだった。  


右:屈原(横山大観 画)

上:書聖・王 羲之
 元々、これを伝えた丘公という人は楚国(淅江省)の楽曲を奏するに優れていたという。

書聖・王羲之の「蘭亭之序」に載る会稽山のある国であり、「楚辞」を著した屈原の祖国でもあった。
楚調は、非常に難曲で、しかも、神秘的な音韻を響かせるものと聞く。
下:楚国地図
大数学者・岡潔先生は「幽蘭」を神の座の音楽として絶賛された。
 おそらく神仙思想の盛んだった地であり、厭世的な雰囲気が国中に漂っていて、他の国とは異質な中国文化を形成していたのであろう。
それが、日本人をして共通の何かを引き寄せるのではなかろうか。  

「幽蘭」に何故、これまで惹かれるのか。それは、調性的でも民族楽のペンタトニックでもなく、中国的でも日本的でもない、独特の超世的・幻想的で哲学的な魅力溢れる古曲なのだ。

私にこの「幽蘭」を報せてくださった不世出の数学者・岡潔先生が感嘆したほどの、茫漠として杳として人を寄せ付けないこの曲は、この世の音曲ではない。

 ともあれ、これらの奇跡的な出会いに驚かざるを得なかった。
これをシンクロニシティー・共時性と言わずして、何と呼ぼう。

そして、多分にシンクロのメカニズムは、前世と関わりある縁同士の引き寄せる法則性ではなかろうか。
これは、琴という具体的な物があったから知り得たことだが、自分の周りには、実は、このシンクロの出会いが至る所で起っているのではなかろうか。

人と人の出会い、物との出会い、あらゆるものが、前世の糸を手繰り寄せ、引き寄せて、今生絡み合っているのであろう。
「袖触れ合うも他生の縁」と言われるが、本当にそう思うのだ。
また、「…多生の縁」とも書く。
何れかの生のみならず、実に多くの生で出会っているのだ。  

そして、思いは実現するということを、今回はまざまざと体験したとも言える。 正に、この世はシンクロしているのだ。
それぞれの思いが共鳴し、反応、同化して、更に深く自己に内在化してゆく。 ちょっとした夢や想いが、忘れていても、潜在化してその結実する時を待っているかのようだ。  
「思った善願は、必ず実現する」  
この確信で、これからの人生を歩んで行きたいものだ。

日光今市・報徳神社裏、二宮尊徳先生墓石横の碑。
宮尊徳翁の道歌に  
『ちちははも その父母も  わが身なり 我を愛せよ われを敬せよ』とある。  

祖先の一人でも欠けていると、今の自分は存在しない。
自己の一代前は、父母の二人、二代前は父母の両父母で計四人。

こうして遡れば、一世代30年として、自分のn代前には「2のn乗」の数の先祖がいる。  
鏡の中の自己は、父母もその父母も我が身なり、と倍々数を数えると、27世810年前で、約1、3億(134,217,728人)で現在の日本人口1億3000万人を遥かに越えるのだ。

時は1197年「建久七年の改変」前後、源頼朝の鎌倉時代に遡って、既に祖先の数と現在の総人口は同じになるのだ。

欧州では後ウマイア朝衰亡の頃、中国は北宋時代である。  
二宮尊徳(1787〜1856):江戸時代後期に「報徳思想」を唱えて、「報徳仕法」と呼ばれる農村復興政策を指導した農政家・思想家。通称は金次郎。


そして、それからわずか168年前に遡るだけで、32.6世978年前で約65億(6,509,953,083人)と、現在の世界総人口66億人に匹敵するのだ。
 
時に、1092年長元2年、実に紫式部の活躍した前後の平安時代で、既に現代人類の数に達する。
世界史では十字軍の遠征の頃である。

そして、1200年前40世で1兆人を越え2000年前の弥生時代、67世前まで遡ると何と百垓(10の21乗)人(147,573,952,589,676,000,000人)という天文学的な途方も無い数となるのだ。

約千年前で、世界人類は全て自分の祖先となり、我一人ともなる。
千年前の人と千年後の人の遺伝子が自分無くしては結ばれない。  

正に、自分一人一人は過去と未来の架け橋なのだ。  
それが、2000年ともなると224億倍も濃い血になるのだ。  
最早、他人も自分も区別が無くなり、正に他人は、濃い私の別な顔の私だけなのだ。

ましてや、夫婦となり家族親子となり、友となり師弟となり、あるいは会社で、学校で、国で見うる知人は、これほど濃い血縁はないであろう。

そうして、世の中を改めて見ると、全ては自分一色に輝いているではないか。  
全ては一体であり、一身であり、一心だったのだ。

外歩く一人ひとりは、まさにもう一人の私なのだ。  

真実の自己愛は、人類愛である。  
「人類は、我という名の大いなる巨人」だった。





 

                            2007年10月5日記

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