生前、残念ながらお会いすることが出来なかった。しかし、世界を先導するドイツの税務会計を徹底的に学び、我が物にして取り入れた飯塚氏の風韻は、TKCの機構、人物などの処々に滲み出ている。三十年前、パソコンなど馴染みもなく、今のIT時代など想像を絶する時に、よくぞ進取の気性で基礎を築かれたと感謝するばかりだ。
氏の著書は禅師の如く世を恫喝し、我々を叱咤激励する。そして、古風な禅学は古趣に耽溺し、杳として今風に馴染まないものだが、それをさらに凌駕し、最先端のコンピュータ経理を何処よりも先駆けて取り込んだその斬新な活眼。それは、真に古いことは、真に新しいことに通じるのだ。活溌溌地として、古くして新しい。古き我に徹したればこそ、より自在で新しき我が現れ出でたのであろう。
飯塚氏の説く「利他の中に、既に自利が在る」という不即不離の悟りの世界がそこにあった。
自己とは何かを知ったとき、今の自己は何をすべきかを知る。経理の中に顕れた数字に、人間の有り様が隠されているとは…
今更ながら、数字に疎い私は、この経理の巨人の前では、うろうろするばかりだ。
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